「自称中道の一般庶民代表」という人間の知的怠慢

id:toroneiという人からトラックバックが来た。この方、なにやら「市民感情」を代表しているつもりみたいだけど、こうやって無邪気に「庶民」を代表した発言をする人ってなんでこんなに多いのだろうか。市民運動をしている人間またはそれを支持する人間は「浮世に着地していない*1」らしい。こういった人たちも「市民」の一員だとは思わないんでしょう。権力の暴走に対抗する上での市民運動の重要性っていうのが全くわかっていないんだろうね。例えば、現在の核兵器への否定的な評価が広まったのも杉並の主婦がはじめた「市民運動」がきっかけだったんですが。

市民運動を否定する人は、北朝鮮のような体制の下でも同じことを言うのだろうか。お上のやることに反対する人間は一般庶民じゃないと判断して、「一般常識が通用しない」などと平気で言える人間は、北朝鮮では「将軍様万歳!」と率先して叫んでいるタイプなんだろうか。

こんなことを言うと、「日本は民主主義国家で状況が全然違うじゃないか!」と反論してくる人もいるだろうけど、権力の暴走ってのは決して全体主義国家だけに存在するものではない。民主主義的な手続きを経て権力が暴走していく例など数多存在する。ナチスが権力を握ったのは民主的な手続きに基づいていたということなんかは知っていても、「自分には全く関係のないこと」としか考えられないのだろうね。

こういった権力の暴走を阻止するのに市民運動は大きな力を持つ。わかりやすい例を出せば、黒人市民権運動を成功に導いたのは、決してキング牧師などの「活動家」のみの力ではなく、白人も含めた多くの「一般市民」の参加があったからこそなのである。ベトナム戦争終結に導いた大きな要因も「一般市民」による反戦運動であることに異論を挟める人はいないだろう。

僕は何も「お前も市民運動に参加しろ。参加しないような奴はくずだ」なんてことは言ってない。僕も別に運動してないし。ただ、こういった市民運動を弾圧して萎縮させるような判決を自分には関係ないからといって「理解」してしまう、想像力が欠如している人間が決まって「庶民感情」などを代表していると考えていることに非常に違和感を覚えるのだ。

こういった行政に異議を唱える人を「思想屋」とか「プロ市民」などと揶揄するような「自称中道」の「一般市民」たちが非常に幅を利かせている状況は危険だとおもう。小泉のパフォーマンスにだまされたのもこういった人たちなんだろう。ただ、こういった人々は良くも悪くも「あんまり考えてない」人が多いから話してみると理解してもらえることも多いのが救いではあるけれど。

*1:よくわからない表現だけど