中国ウォッチャーという肩書き

今朝朝刊を見ていると、週刊現代の広告が目に留まった。今週は「中国『好き』か『嫌い』か」という特集をやっていて、保坂正康とか姜尚中なんかが寄稿している。(参照

どんな人がどんなこと言ってるのかなと思って眺めていると、あまり見慣れない肩書きが目に入った。その名も「中国ウォッチャー」。この肩書きを名乗っているのが前回の記事にも登場した宮崎正弘である。この人中国ウォッチャーを名乗っていながら例の写真のデマに見事に食いついていたのか。

宮崎正弘ってのはどのような人物なのかwikipedia調べてみた。それによると、

宮崎 正弘(みやざき まさひろ)は日本の評論家、作家、保守派の活動家。

と書いてある。更に、

拓殖大学日本文化研究所客員教授も勤めている。

と略歴に書いてあった。なんで中国ウォッチャーが日本文化研究所なんだ?というわけで拓殖大学日本文化研究所調べてみた。それによると、

日本文化研究所は、1987年4月に「現代文明に変り得る、新たな文明の核としての日本を研究する機関」として設立された。当時の名称は、日本文化研究室で研究員は所長と客員研究員3名加えて、各学部・大学院に所属する教員が兼務するという形が取られていた。1994年に「建学の精神に則って我が国と世界の学術と平和に寄与する研究機関」へと設立の目的が変更され、研究室も研究所へ昇格すると同時に、紀要も大幅変更された。研究所に昇格したことにより、研究所所長、専任教授、専任研究員を抱えることとなる。研究内容も昇格同時にテーマが「アイデンティティの探求」という一点に絞った研究に変更された。1998年8月には、日本文化研究所付属近現代研究センターが設立。台湾との共同研究「後藤新平新渡戸稲造事跡国際検討会」の参加や学術検討会などへの参加。また、拓殖大学台北分校調査などが行われた。韓国でも拓殖大学京城分校の調査が行われた。明治以降の近代化や戦後の歴史編纂などで掻き消された歴史や文化をもう一度掘り起こし、検証することを研究の目的としている。そして、この研究所で得られた成果を新日本学として紀要や公開講座などで紹介している。紀要として『季刊新日本学』を年四回発行している。また、一般市民向け公開講座「新日本学」を毎週火曜日に開講している。内容は日本文化チャンネル桜でも視聴可能である。研究所は、拓殖大学国際教育会館内の別館研究所棟にある。

どうもろくでもないところのようだ。

話が脱線した。とにかく、この人は沢山の肩書きを持っているのだけれど、あえて選んだのが「中国ウォッチャー」なのだ*1。まあ、中国特集だからこれを選んだのかもしれないけど、僕なんかはこんな肩書きを名乗っている時点で怪しいのではないかと思ってしまう。

それとも中国ウォッチャーというのは、僕が知らないだけでものすごくメジャーな肩書きなのだろうか。というわけで、「"中国ウォッチャー"」でぐぐってみた。その結果表示されたのは2140件*2(4月21日現在)。どうもあんまり多くない気がするけど、割とメジャーな言葉なのかもしれない。

さて、「中国ウォッチャー」とはいったいどのような人々なのだろうか。一番上に表示されたのがこれ青木直人というチャンネル桜の常連さんらしい。それよりも、「南京ペディア」なるサイトがあるとは知らなかった。このサイト「南京の真実」の応援サイトらしい。「初めての方へ」というページにはこんなことが書いてあった。

日本の平和を望む人が本サイトなどの様々な情報から南京の真実の真の目的を理解できたならば、応援せずにはいられなくなりますよ。

応援する気にはなりませんでした。申し訳ない。

またまた脱線してしまった。元に戻そう。ぐぐった結果を見てみると、やはり宮崎正弘青木直人の名がよく出てくる。この二人がツートップなのかな。それ以外では、『「人」を食う中国人、割を食う日本人』というを出した「新進気鋭の中国ウォッチャー」五十嵐らんとか産経の名物記者こもりん*3とかの名前が見受けられる。こもりんは説明するまでもないのでほっといて、この五十嵐らんという人はどういう人なんだろうとこの本の元になったブログを見てみた。この人は映画「靖国」に非常に不満があるらしく、

90の老人への配慮もない若者の驕り、映像屋としての基礎も出来てない愚かさに恥ずかしくさえなる。
この監督は「表現の自由」などと語る資格もないし、この監督に同調しているすべてのマスコミや表現者たちは、
恥を知れ。(筆者による改行あり)

と強い調子で憤っている。どうやら一部の情報のみで判断する人のようだ。「反日度」の測り方とかいろいろ面白いこと言ってるので興味がある方は見てみるといいと思う。

さて、日本人以外の中国ウォッチャーはどうなのだろう。僕の目に留まったのはウィリー・ラムという人。この人は宮崎に「世界にあまたいるチャイナ・ウォッチャーのなかでも、一目おかれる存在」と言わしめるほどの大物らしい。どうも香港の「サウス・チャイナ・モーニング・ポスト」紙で中国政権の内部事情に関する特ダネを連発したが、反中国的な姿勢が嫌われて首になった人物のようだ。現在は香港CNNで毒舌を飛ばしているらしい。この人がどんなことを言っているのかよく知らないので評価は控えるけど、何故か幸福の科学の「心の総合誌」月刊「ザ・リバティー」に寄稿している。幸福の科学って反中国だったのか。知らなかった。でも、よく行く食堂のおばちゃんがいつも読んでる幸福の科学の本に自虐史観がどうのとか書いていたし、そっちの方向に傾いてるのかも。

とりあえず、中国ウォッチャーという人は「中国が嫌い」な人が多いということは言えそうだ。内田樹がブログの「現代中国論打ち上げ」というエントリで中国ウォッチャーについてこんなことを言っていた。

自分が「客観的情報」を提供しているつもりでいるときに、記述に必ず「主観的願望」が入り込むことを彼らが「勘定に入れている」かどうかについては吟味を怠らない方がよいと思う。
自分の欲望を勘定に入れ忘れて推論をする人間は、「私の予測は他人の予測よりも当たる確率が高い。なぜなら私が『当たるといいな』と望んでいるからである」という推論を自分がしていることを忘れている。
そのような推論の仕方がごく「人間的」なものであることを私は喜んで認めるが、それを「科学的」なものと呼ぶことには同意しない。
先日送ってもらったある総合誌を読んでいたら、何人かの論客が中国を論じていた。
彼らはほとんど例外なしに、中国の中央政府のガバナンスが機能せず、経済が破綻し、環境が劣化し、人民解放軍の暴走が始まる近未来を「予測」していた。
その予測はかなりの程度まで信じてよいことなのかも知れない。
しかし、彼らのその文章には「そのような事態」が到来することへの彼らの「期待」(ほとんど「願望」)が伏流していることに彼らが無自覚であることに私はつよい不安を抱いた。

やはり、「中国ウォッチャー」というのは「中国が嫌い」で「中国が崩壊することを望む」人が多いという評価はある程度共通しているのだろうか。

とりあえず、僕は○○ウォッチャーって頭がすごく悪そうだから絶対に名乗りたくない。

*1:もしかしたら編集部が勝手につけたのかもしれない。その場合は謝ります。

*2:ちなみに、"アメリカウォッチャー"は1720件、"フランスウォッチャー"は7件だった。結構○○ウォッチャーって人々は存在するのかも。そういえば件のRA○さんは「半島ウォッチャー」って自称していたな。

*3:http://www.bk1.jp/product/02279777