人権擁護法案反対派の腹のうち?

今朝の毎日新聞人権擁護法案自民党内での議論を検証する記事が出ていた。(電子版はまだみたい)以下引用。

人権擁護法案 議論の行方見えず 自民党調査会長私案、メディア条項削除

 03年に廃案になった人権擁護法案について、新たな法案のあり方を話し合う自民党の人権問題等調査会(太田誠一会長)が昨年12月に議論を再開したが、通常国会中の意見集約はできなかった。党内の反対、慎重論は根強く、秋の臨時国会に持ち越した議論の行方はいまだ不透明だ。[西田進一郎、坂本高志]

●旧法案と一線画す
 「我々の案を作らないといけない。方向が固まってきたので説明させていただきたい」。5月29日、自民党本部で開かれた調査会。会長の太田誠一総務庁長官は、こう切り出すと、A3判一枚にまとめた資料を手に説明を始めた。「太田私案」と呼ばれる「人権救済法案」だった。
 法案の名称は、小泉政権当時の03年、廃案になった政府提出の「人権擁護法案」(旧法案)と「一線を画する」メッセージだった。旧法案は「人権侵害の定義があいまい」などと党内の批判を浴び、「そのままでは党内のアレルギーが強い」と判断したためだ。
 太田私案は、党内の反対派の主張に一定の歩み寄りをみせ、救済の対象となる人権侵害を具体的に示した。旧法案には「対象があいまいで拡大解釈のおそれがある」との批判があったためだ。
 さらに、人権侵害の申し立てを受け、調査に入る第三者による「人権救済機関」が調停・仲裁や勧告などに乗り出すケースも明示した。また、外国人が人権擁護委員にならないよう見直した。
 メディアの取材・報道を規制する条項も、旧法案から削除した。この条項に対しては「取材が制約されかねない」とメディアが反対し、廃案につながる要因となったためだ。調査会幹部は「党内にも厚い壁があるのに、メディアとの摩擦まで抱え込まないほうが得策だ」と話す。

●激しい応酬
 党が調査会を2年半ぶりに再開したのは昨年12月。旗振り役は古賀誠選対委員長だった。小泉、安倍両政権で「非主流」の立場にあった古賀氏だが、福田政権の発足で「復権」したことが背景にある。
 ただ、それまで11回の会合を重ねても、意見は真っ二つに割れていた。太田私案の提示は、通常国会の会期末が迫る中で法案提出に向けた「最後の賭け」だった。
 古賀氏も会合の冒頭、出席し、無言のにらみをきかせたが、私案提出の動きを事前につかんでいた反対派の若手・中堅も会合に駆けつけた。「法案を一気に取りまとめようとするのではないか」と身構え、約40人が出席した会合はピリピリした空気が漂った。
 「これまでの論点を吸収して、改善した点は評価できる」(中谷元・元防衛庁長官)。「手直しする部分があるかもしれないが、基本的には賛成だ」(加藤紘一元幹事長)。ベテランを中心に賛成論もあったが、反対派は猛反発した。
 「何のために法律を作るのか、未だにわからない」(稲田朋美衆院議員)。「新法を作る理由が見当たらない」(赤池誠章衆院議員)。必要性を真っ向から否定する意見が相次ぎ、怒号も飛び交った。
 反対派の顔ぶれは、党内で「保守派」といわれる議員がほとんど。激しい抵抗は「機関が作られたら、特定の団体から『あの発言は人権侵害だ』との申し立てが相次ぎ、自由な発言がしにくくなる」との懸念をぬぐえないことが大きい。議論は平行線のまま、2時間後に打ち切られた。
 調査会は6月20日まで4回の会合を開いたが、推進派と反対派の激しい応酬が繰り返され、法案の提出は見送られた。
 20日の会合で、反対派の中核の一人である古屋圭司衆院議員は「機が熟していない。私案を取り下げてほしい」と太田氏に撤回を迫った。太田氏は「さらに議論を詰めたい」と突っぱね、私案をたたき台に、臨時国会の召集に合わせて議論を再スタートさせる考えを押し通した。
 推進派には「まとめるかどうか、太田氏の腹一つだ」強硬論もくすぶるが、強引な決着が党内の溝を深めるのは間違いない。歩み寄りの機運はなく、臨時国会に持ち越しても合意する見通しは立っていない。
 太田氏は25日、首相官邸福田康夫首相と会談。「反対派に相当な譲歩をしながらソフトランディングを目指す」と語る太田氏に対し、首相は「それでいい、分かった」と答えた。

反対意見に配慮「太田私案」 法相、権限縮小を評価

 「議論が煮詰まらなかったのは大変残念。対立した方々が歩み寄れるものを作り上げることを心から期待したい」。20日閣議後会見。鳩山邦夫法相は自民党調査会の議論の進展に期待を述べた。
 法相は「人権を守る基本法がないのは残念」と政府案提出への意欲を見せてきた。ただ、激しい党内対立に慎重な構えも崩さず、「以前の法案は再提出しない。自由に議論してほしい」と白紙からの議論を託してもいた。
 その結果、調査会で示された「太田私案」はこれまで反対意見への配慮を集約した形だ。
 任意の一般救済の対象を限定。メディア規制条項も削除を明確にした。政治活動や表現の自由には特に配慮し、不当な申し立てに対する対抗措置などを盛り込んだ。申し立てられた側が調査を拒否しても制裁がないことも明確化した。
 鳩山法相は、こうした人権救済機関の権限を大幅縮小した内容を「対立点をまろやかにした」と評価した。しかし、人権擁護推進審議会の答申(01年5月)は「広く人権侵害一般」を救済するよう求めており、そこから後退したとの受け止めもある。
 新制度創設を強く求める同和団体幹部は「メディア規制条項削除は評価するが、それ以外は差別の実態を知らない反対論に遠慮しすぎている。これで人権救済機関が十分機能するのだろうか」と疑問視する。
 推進、反対双方の批判にさらされる中、法務省基本法策定を検討し続けるのには理由がある。98年に国連規約人権委が「政府から独立した人権救済機関」設立を日本に勧告し、同審議会の答申、旧法案提出につながった。
 ある政府関係者は「ここまで積み上げた議論をゼロにするわけにはいかない。(調査会は)ねばり強く審議を継続してほしい」と語る。
 一方、法務省は秋の臨時国会までの間、私案を基に詳しいたたき台の作成作業を進めるとみられる。
(強調はブログ主)

私案の変更点はまとめると以下のとおり

  • 救済対象の限定:「広く人権侵害一般」から「人種、障害、疾病による差別」「職務上の地位を利用した性的言動」「名誉毀損、プライバシー侵害」などに限定。
  • 仲裁・勧告の対象となる人権侵害:不当な差別的扱い・言動、報道機関によるプライバシー侵害、過剰取材などと、包括条項として「これらに乗じる人権侵害で被害者自身が適切な措置をとることが困難な場合」から、公務員や事業主・雇用者が行う差別的取扱いなど。差別的言動には「反復して行う」との要件を追加。包括条項は削除。
  • 人権擁護委員の資格:「国籍要件なし」から「日本人に限定」
  • メディア規制:削除
  • 勧告に従わない場合の過料:削除

メディア規制削除は評価できるが、随分後退した印象である。これまで反対派が主張していた、国籍条項や過料の問題は削除されているし、人権侵害の規定も随分限定されている。差別的言動に「反復条項」を挿入したのもひどい。記事によれば更なる譲歩も検討しているようで、完全に形骸化する可能性もある。記事に登場する同和団体幹部の懸念はそのとおりだろう。

それでも稲田朋美などは強硬に反対している。具体的な論点で反論ができなくなったから「作る理由が分からない*1」ぐらいしか言えないにもかかわらずである。古屋圭司が「機が熟していない」とか言ってるが、こいつらにとって機が熟すときなど永久に来ないだろう。

反対派は人権団体がなんでもかんでも言いがかりをつけてくるかのような印象操作を行っているが、例えば、同和団体が行ってきた「糾弾会」はあからさまな差別に対してのみ行われてきたものである。それを「触らぬ神にたたりなし」的にメディアや行政が差別にできるだけ触れないように、波風を立てないようにしてきたことが、一部の腐敗を呼び込んだのである。議論をオープンにして、無茶な要求には毅然と対応すれば、利権のために言いがかりをつけるといった行為はできなくなる。

人間には差別意識があることは否定できない。自分では全く気づかなかった言動を差別であると指摘されショックを受けることはままあることである。ただ、人権侵害や差別といったものを真剣に考えている人間ならここで想定されているような「差別」とはどのようなものかある程度判断できるし、そのような言動を行うはずもない。もし、それでも差別だと指摘されたなら、相手と真剣に向き合い、話し合いをすればいい。そうした対話の過程でさらなる成長が期待できる。差別に無頓着あるいは差別を許容している人間は何が自分が差別的な言動をする可能性を認めているからこそ戦々恐々とするのだろう。結局反対派の言う「自由な発言ができなくなる懸念」とは「自分が差別的言動を自由にできなくなる懸念」でしかない。

このような連中が与党内に沢山涌いているという事実はますます人権後進国としての評判を高めることになるだろう。日本は確か国連人権理事会の理事国のはずなんだけど。「人権理事会選挙における日本の自発的誓約」には「人権擁護機関による人権侵害事案の調査や救済措置、啓発活動及び相談の実施。」という項目があるのだが、このまま法案が成立しないなら、いい加減な嘘を誓約したということになってしまう。「日本国の誇り」とかがものすごく大事な人たちはこれを放置してもいいのかね。

ちなみに、自民党以外の反応は以下のとおり。民主:一部の議員が猛反対。公明:推進。社民:おおむね賛成。共産:反対。共産党の反対は「市民の言動まで規制する危険」が理由であるらしい。とはいえ、最大の反対理由は解放同盟との対立にあるようだ。(参照)

「差別」を口実とした市民生活への介入といえば、かつて「解同」(部落解放同盟)が一方的に「差別的表現」と断定し集団的につるし上げる「確認・糾弾闘争」が問題になりました。「糾弾」は学校教育や地方自治体、出版・報道機関、宗教者などにもおよび、校長の自殺など痛ましい事件が起きました。

 「糾弾闘争」は現在でも後を絶っておらず、今回の法案は「解同」の運動に悪用されかねません。人権擁護法案どころか逆に、人権侵害法案となることが心配されます。

共産党は「八鹿高校事件」などを想定しているのだろう。部落問題に関する共産党の立場は「既に解決に向かっている」というもので、同和教育に関しては「寝た子を起こす」として反対しているけど、これは明らかに間違えている*2。ネット上には目を覆いたくなるような部落差別の言動があふれている。このような事実に目を瞑っている共産党の認識は問われなければならない。

*1:本気でわからないなら重症であるが

*2:この件に関してはいつか書くかも