70年前の「希望は戦争」

毎日新聞夕刊で月一連載中の「今、平和を語る」シリーズ。過去には鶴見俊輔などが戦争の愚かさを語ってきた。今月は俳人金子兜太が自らの戦争体験をもとに、彼独自の概念である「蹴戦」を語っている(魚拓)。以下気になる部分を引用。

本土での戦争経験がないので、戦争の悲惨さを知らなかったんだな。だから翌年に日中戦争が始まると、こぞって歓迎した。貧しさが「戦争待望」になっていたと思う。秩父だけでなく、日本列島がそうだったのではないですか。戦争が貧乏を解放してくれるんだと錯覚していた。

赤木智弘の「希望は戦争」を髣髴とさせる。悲惨な戦争の実態を知らない貧困層が貧困からの脱却を願って戦争を渇望する。世間には「戦後民主主義」を蛇蝎のごとく嫌う奇妙な人々であふれている。現在の社会はどんどん戦前へと回帰していってるのだろうか*1

経済学をやっている学生だから、日米の生産力の違いをみれば、日本は長期戦を戦えるわけがない、絶対に勝てない戦争だとわかっていた。しかも日本とアメリカの帝国主義戦争であるのは明白だから、ゼミナールの学生も帝国主義戦争に反対だった。だが、真っ向から反対した先輩が特高警察に引っ張って行かれ、拷問を受けたのでしょう、両手のつめがなくなって帰ってきたのを見て、自分なんかではどうにもならないという思いだったな。一般学生共通だったね。でも一方では、これは勝たなければならない、勝たないと民族が滅んでしまう、そう思う面もあった。若気の血気も出ていた、正直言ってね。

「自分なんかではどうにもならない」とあきらめてしまうのはままあることだろう。もし自分がこのような状況に陥ったとしたら決してあきらめてしまわないよう自戒したい。

ひどい食糧不足になると、部下の工員たちのなかには、飢えに耐えられず、食べたら死ぬとわかっていても、捨てられたフグに手を出す者も出てきた。猛然と食らいついては死んでしまう。南洋ホウレンソウと呼んだ雑草があって、煮て食べることは可能ですが、すきっ腹なので大食いをする。そのあげく下痢がひどくなり、脱水症状をきたして死んでいく。飢えて死ぬというより、飢えに耐えられなくなって死ぬんです。そんな餓死者は、やせ衰えて木の葉みたいになってしまう。人間の尊厳などない。

戦争に貧困からの開放を期待した人々を待っていたのはこうした現実だった。戦争が人間の尊厳を回復する手段になどなりようがない。戦争を知らない世代にはこのような話がリアルに感じられないのかもしれない。それでも、同じ道を歩まないためには想像力を最大限に働かせてこういった戦争体験者の話に向き合っていかなければいけない。

*1:戦前への回帰といえば、農業の株式会社化などが思い浮かぶ。今のところはいろいろと制限があるようだが、本格的に導入されれば巨大な貧困層が形成されることになるだろう。これについては稿を改めて検討したい