フランスからの手紙―ある哲学研究者の東浩紀批判

 フランスに留学中のサルトル研究者に東の劣化がひどいよと話してみたところ、メールが届いたので転載する。東批判は一通りなされた感があり、また、先日の常野さんの活躍によって東の小物振りが明らかになって、東の言説自体を取り上げることも少なくなってきていると思うけれど、サルトル研究者からみた東及び「ポストモダン」というのはこれで面白いと思う。

最初に断っておきたいが、知っての通り日本語文献が揃えにくい状況にあるので、どっかの本から引用する場合は、邦訳が存在する場合でも原書から俺が直接訳している。そのため、細心の注意は払うが、特にデリダのついては誤訳の可能性を否定しきれない。いずれにせよ、翻訳の責任は完全に俺に帰する。

東の発言について参照したブログの類は、お前から教えてもらったものがほとんど。
以下の通り。
http://d.hatena.ne.jp/toled/20081128
http://watashinim.exblog.jp/8879908/
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/
http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20081126
http://www.hirokiazuma.com/archives/000465.html
http://d.hatena.ne.jp/nitar/20081114#p1
http://d.hatena.ne.jp/nitar/20081205/p1
http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/20081208/1228726052


さて、本題に入る前にひとつ確認。東は「ポストモダン系リベラル」であると同時に「デリディアン」であると自らをアイデンティファイしているが、デリダはそんな自己規定をしない。東自身はたしかに「渦状言論」12月1日のエントリーの中で、自己の言説とデリダの言説とを区別するよう促している。ただ他方で、「デリダを通ってしまうと、歴史的真実とか言えなくなる」とその影響関係を表明しているので、あたかもデリダというのが「ポストモダニズム」なるものの源泉であるかのように理解される可能性もある。この点で、デリダがそんなレッテルを拒否しているってのをはっきりさせておくことは、それなりに意味があるだろう。

「私はまた、『マルクスの亡霊』や私の仕事全般について、それが「ポストモダニズム」や「ポスト構造主義」といった《ジャンル》の一種、一例、一類型であるかのように、いささか性急に語られることにショックを受けている。これらは、極めて情報に乏しい世論(とりわけ多くの場合、大手メディア)が、《脱構築》をはじめとして、彼らの気に入らなかったり理解できないあらゆるものを、大雑把に整理するごちゃ混ぜの概念である。私は自らを、ポストモダニストともポスト構造主義者とも見なしていない。」
Jacques Derrida, Marx & sons, PUF/Galilée, 2002(以下MSと略), p.36.


東が「ポストモダン」をどう定義するかは本人に聞いてみるしかないが、デリダを経由したポストモダニストだから歴史的真実とか言えない、という主張は、思考停止のためのプレテクストとしか思えない。

じゃあ本論。
まず東の主張(の一部)を要約すればこんな感じだろうか。
順不同で、
1.歴史的真実など決定的には知りえないのだから、「何もわからない」というところに停止するしかない。→例:南京大虐殺
2.いろんな意見の奴がいて当然。討議は無限に開かれていなければならない。厳密にリベラルな公共性を構想するなら、「リベラル」でない立場も容認し、場所を与えねばならない。→例:在日差別容認

一義的な真実など知りようがないとか、この世にはいろんな意見の奴がいるとか、これって要するに常識よね。
一般論として、思考の構え方はたしかにそこからスタートすべきだろう。でも例えば南京大虐殺について、自分は専門家じゃないからって逃げて、そこで止まっちゃったらダメだろ。一般的な前提に過ぎない事柄の確認が、あたかも結論であるかのように転倒されてしまう。
大体そんなことは、ポストモダンであろうがなかろうが、それこそずっと前から言われてたこと。
一例に、ポストモダンとはまったく関係のないサルトルを挙げてみる。

「出来事の諸側面。〔……〕2゜多次元性。出来事は同時に数限りない諸意識において進展する。それらの諸意識は、多かれ少なかれ一般性から隔たっている。したがって、歴史は数限りない異なった仕方で屈折することになる。しかし、問題なのは反映ではない。出来事を生きる仕方は、出来事そのものの一部をなす。ある政令に際しての大衆の憤慨は、出来事としての政令の一部である。それが実行される流儀(すなわち政令に対しての人々の振舞い)もまた同様である。すなわち、政令の意味作用はその政令の一部をなし、多次元的であり、理論的には無限でさえあるということだ。実際のところは、宇宙(世界〔l'univers〕)繊維質の構造は、そこに有限性を与える。しかし、まさにこの活動する意味作用が多次元的であるからには、出来事は不安定である。それは脱中心的増殖なのだ。」
Jean-Paul Sartre, Cahiers pour une morale, Gallimard, 1983(以下CMと略), p.40.

「運動という表現で物事を捉えるなら、歴史的現象は、同時に複数の回転軸を持つような運動として、果てしない脱中心化である。」
CM, p.144.


言うまでもなくサルトルは「アンガジュマン」の哲学者。あんだけ政治に社会に文化に積極的に発言し、コミットしていった人間でも、一枚岩の真実なんてないという認識は前提としている。決定不能だからその決定不能性に安住するという発想は、少なくともサルトルにはさらさらない。
そもそも、わかんないなんてことは前提以前の前提なわけで、わかんないからこそ人間はそのわかんない事柄をどうにか合理的に把握しようとして、例えば歴史学という営みを進めてきた。(歴史学自体、様々な党派性に浸透されているとしても。) 南京についても、多くの研究の蓄積があるはずで、それを一切無視してただ決定不能というのは、要するに知的怠慢だろう。

さらに、今度はデリダについて言うと、デリダはたしかに「決定不能性」の哲学者ではあるだろう。(俺はデリダについて大して詳しくないが。)ただ、東がただ単に決定しないのに引き比べ、デリダはもう少し複雑。ちょっと長いが引用。

「社会的諸力の(単純化して《階級》と呼ばれてきたものの)差異と対立を通じて、単純に問題となるのは、分析や政治的アンガジュマンの、もうひとつ別の次元である。私は、そのような次元(例えば、社会的、国民的、国際的階級の次元、国民国家内部での政治的闘争の次元、国籍と市民権の諸問題の次元、党派戦略の次元などなど)が、上位にあるとか下位にあるとか、優先的であるとか二次的であるとか、根本的であるとかないとか、そんなことは言わないであろう。こういったことはすべて、それぞれの瞬間において、切迫性や構造的関わり、そして何よりまず独自的状況に左右される。そのような評価にとっては、定義からして、いかなる先行的基準も、いかなる絶対的計算[予測]可能性も存在しない。分析は、先行的な知によって保証されることなど決してなく、それぞれの場所で、日毎に再開されねばならない。こうした条件において、こうした命令条件においてこそ、行動、決定、政治的責任――再政治化――は、そうしたものがあるとして、あるのである。《決定不能なもの》は、私にとって、決定の反対物であったことは一度もない。それは、決定が計算機においてなされるような具合には知から演繹されない場合の、決定の条件なのである。
MS, p.54. (太字強調はデリダ(原文イタリック)、赤字は俺)


決定不能性は、わからないと言って立ち止まるためのプレテクストではなく、「決定の条件」なわけだ。東が、例えば南京大虐殺をめぐる「独自的状況」に対する評価を、「日毎に再開」しているとはとても思われない。何度でも繰り返すが、彼は決定のための条件に過ぎない段階にとどまっているだけだ。
もちろん、デリダの真実ないし真理に対するスタンスは、簡単に測定できるようなものではない。デリダは、何らかの既成の価値にコミットしつつ、「これが真理だ」などと断言するようなことはしない。認識と対象の一致という、近代の単純な真理概念は斥けられる。物事は、「おそらくpeut-être」という形でしか語れない。だがこの「おそらく」は、あらかじめ真理を排除するようなものではなく、真理の新たな地位と密接に結びついている。

「我々の途方もないおそらくは、不明瞭さや変わりやすさ、知に先立つ、あるいはあらゆる真理を断念する当惑といったことを意味しているのではない。仮にそれが決定不能で、その固有の瞬間において(しかしそれにある固有の瞬間を割りふることはまさに困難である)真理を欠いているにしても、これは、決定の、中断の、革命の、責任[応答可能性]の、真理の条件であるためである。おそらくの友は、真理の友なのだ。しかし、真理の友は、定義からして、真理の中にはいない。彼らは、ドグマの閉鎖された安心感や意見の安定した信頼性の中にいるような具合に、真理の中に身を落ち着けているのではない。」
Jacques Derrida, Politiques de l'amitié, Galilée, 1994, pp.63-64.


デリダには真理への希求がある。「歴史的真実とか言えなくなる」と言って傍観者の立場に閉じこもることは、「あらゆる真理を断念する当惑」ではないだろうか。デリダはただ「わからない」とは言わない。少なくとも、「おそらく」と言う。この「おそらく」には最大限の負荷がかかっている。ア・プリオリな真理など担保されることのない世界で、それでもいかに真理を語りうるか、という命題。東との隔たりは言うまでもない。

話は変わるが、ひとつ確実なのは、デリダを多少読みかじった程度の俺とは違って、東はデリダをほとんど読んで、ここで俺が指摘したような事情もわかっているはずだということ。
デリダはたしかに、物事をスパッとぶった切るように論じてくれる哲学者じゃないし、現在の状況の中でどう行動すべきかという処方箋を与えもしない。(むしろそんなもん安直に与える方が危険だろう。)
それでもデリダには、「正義」「真理」「民主主義」といった、これらの非常に危うい言葉を、別の仕方で考えねばならないという、切迫した認識がある。「わかんねーよ」という非−知の領域は、そこに避難できるような世界の安全な隔離された片隅じゃあない。東がおそらくそれを理解していながら、わからない振りをするのはどうしてなんだろうか、と俺には非常に不思議。それとも彼は本当にデリダを、ただ単に誤読しているのだろうか。

ところで、ある状況の中で態度表明をはっきりしろ、と要求されれば、東はきっとそんな要求を暴力だと受け止めるだろう。それはある点までは正しいと思える。ではあらゆる暴力を回避できる理想郷は、現にあるのだろうか。あるわけない。東自身、大塚との対談の中で「ぼくという人格は個別にあるものではなくて、時代性とか、さまざまなものによってつくられているわけです」と発言しているようだが、こういった被規定性はあらかじめの暴力じゃあないのだろうか。
俺は、東が自称するような「へたれ」のあり方は、決して悪くないと思っている。なぜなら俺もへたれだから。でも他方で、どこまで本当にへたれでいられるのかというのはすごい問題。そこで考えなきゃいけないのは、「暴力」という問題系だと思う。いずれにしたって、俺たちは、あるいはこの世界は、隅から隅まで暴力によって構造化されている。へたれでいることで、暴力を行使することからも暴力を被ることからも無縁でありうる、などというのは幻想に過ぎない。
東に欠けているのは、こうした暴力への感受性だと思う。
言うまでもなく暴力の問題は難しい。植民地や人種差別から、大学だの雇用形態だの社会的制度に関わるものまで、暴力の行使に立ち向かう術は対抗暴力であっていいのか、という問題。バイオレンスとカウンター・バイオレンスのジレンマ。
手元にないので引用できないのが残念だが、デリダはこの点についてあるインタビューの中で触れている。「対抗暴力というのは素直に認められる手段ではないが、私に言えるのは、暴力状況は許しがたいということだ」というような主旨だったと記憶しているが、正確である自信はないので、興味があれば原文を確認してほしい。『現代思想』の1987年7月号、特集「サルトル以後のサルトル」。
それにしても、東の言うように、例えば在日朝鮮人に対する差別の言動にも場所を与えよってのはどうなのか。何よりまず、多くのブロガーや論者も既に指摘していることだろうが、現に彼らは場所を持っているわけだ。そしてその暴力的な言動に対して口を噤むことは、どういう意味を持つのか。サルトルならば、こんな風に言うだろう。暴力状況に対して沈黙を守ることは、客観的にはその暴力に加担することである、と。差別を個人の内心では一応糾弾するそぶりを見せながら、実質的に沈黙することで生み出されるのは、暴力との共犯関係である。

「客観的な従属と内的な拒否というアランの解決(それはまたエピクテトスの解決でもある)は、端的に幻想的である。というのも、拒否が志向的主観性の中で純粋かつ全面的であるためには、また、拒否が純粋な志向であるためには、その活動は熱意を持ってなされねばならない。もしその活動が無気力になされるなら、拒否はもはや純粋な自由の肯定ではなく、活動の無気力によって損なわれたものとなり、無気力、怠惰、恐れによって拒否しているのか、一歩も譲らない純粋さによって拒否しているのか、もはやわからなくなる。それゆえ、この拒否は支配者との協定の上に消え去るものであり、砲兵アランは敵の軍隊めがけて撃つ、したがって虐殺の共犯となるのだ。(……)実際には、人間は受動的ではありえないゆえに、受動的服従というものは存在しない。服従か反抗しかないのである。」
CM, p.274.


あらゆる言説に場所を与えるとうそぶいて、自らはそれらの言動の外部に身を持していられるなどと思うのは幻想である。あらゆる発話に場所が与えられるのが公共性だとするならば、公共性はあらゆる暴力が分節される空間である。すべての主張に存在を認めたときに、いわゆる言論の自由に対する抑圧が終わって暴力が回避されるのではなく、その時にこそ剥き出しの暴力状況が顕在化するだろう。現に今、かなりの程度でそうなっているというのが俺の認識。公共性は、ニュートラルな言論の自由市場じゃない。理念的にはそうあるべきだとしても。
当然、服従か反抗か、というこの二元論は一方では危険だろうし、デリダがそのような方向性を避けようと思考していることも俺は理解しているつもりだ。だが、二元論をただ回避しようとして、選択を行なわない思考停止に陥ることは、はるかに危ういものじゃなかろうか。
それにサルトルは、安易な二元論に逢着してしまっているわけじゃない。暴力の浸透した現実世界の状況においては、問題が二元論的な構図をもってしか提示されないという構造を分析し、指摘しているわけだ。
デリダサルトルそれぞれの、この状況に対処する戦略は、まったく異なっているけれど。(ただ、相互に響き合ってる部分は確実にあると俺は思っている。)

デリダが単なる「へたれ」ではなく、人間同士のつながり方として、どんなあり方を構想しているのか、いつも通り明瞭ではないけれど、ここに一例がある。マルクスについて論じた著作(もともとは講演)の中から引用。

「《新しいインターナショナル》、それは単に、これらの犯罪を通じて [原文では犯罪を意味するcrimesとなっているのだが、文脈からしてcrisesの誤植じゃないかと思う。だとすると訳は、「これらの危機を通じて」となる] 、新しい国際法を模索するということではない。それは、親和性の、苦しみの、希望のつながり、1848年のころと同様にいまだ目立たない、ほとんど隠された、しかしますます目に見えるようになってきている――そのことの兆しは一つならずある――つながりなのだ。それは、時ならぬ(intempestif)、地位も資格も名前もなく、地下のものではないにしてもほとんど明るみに出ていない、関節の外れた(out of joint)、連携も党派も祖国も国民的[国家的]共同性(あらゆる国民的[国家的]規定以前の、それを通じての、その彼方のインターナショナル)共同−市民権(co-citoyenneté)も階級への共通の帰属もない、つながりである。ここで、新たなインターナショナルの名の下に呼ばれているもの、それは、たとえ彼らがもはや今後は、あるいはこれまでも決して、社会主義的−マルクス主義的インターナショナルや、プロレタリア独裁、万国のプロレタリアの普遍的団結のメシア的−終末論的役割などを信じないにしても、少なくともマルクスの、あるいはマルクス主義の諸精神(彼らは、これからはそれが一つ以上あることを知っている)の一つから息吹を吹き込まれ続けている人々の間の、そして新しく具体的で現実的な形態の上で結びつくために、たとえこのような結びつきがもはや党や労働インターナショナルといった形をとらず、国際法の地位や、国家や国民などなどの諸概念についての(理論的かつ実践的)批判の中で対抗−共謀(contre-conjuration)の形をとるにしても、そのように結びつくために、すなわち、このような批判を更新し、とりわけ根本化[過激化]させるために、制度なき結びつきの友情(amitié)へと促すものである。」
Jacques Derrida, Spectres de Marx, Galilée, 1993, pp.141-142.


これが実質的に、実体的にどういうものであるのか、そんなことはデリダ自身もわかってないんだろうと思う。わかんない。でも、わかんないというのは、それが問題であるということ。問いに付されているということ。それについて考え続けないといけない。わかんないとだけ言って立ち止まるのは、問題が問題であること自体を拒否するような姿勢じゃないか。でも問題を拒否したからって問題がなくなるわけじゃあない。東の内心だけは平静を取り戻すのかもしれないが。

長くなった。最後にサルトルをもう一回引用して終わりにします。
頼るべきア・プリオリな規範も価値もないときに、俺らはどうしよっかなー、というお話。

「〈倫理〉のジレンマ。もし目標が既に与えられているのなら、それは価値ではなく事実に、存在になる。もし目標が与えられないのなら、それは無償のものとなる。それは気まぐれの対象である。これは、次のことがよく理解されていなかったということだ。目標は、存在するためには望まれねばならない。そこに第一の特徴がある。目標というものがあるのは、自らが自由であることを望む自由に対してのみである。しかし他方で、自由で超越的な投企としての人間の実存そのものが、その実存がその存在において世界を問題とするものであるという意味で、必然的に目標の問題を提出する。他方で自由は、その出現それ自体によって自らを問題とするものである。あるいはむしろ、自由は《問いに付されて》いる[《問いのうちに置かれて》いる]。したがってここに、目標ではなく、問題の根源的な出現があるのだ。回答は与えられていない。回答というものはまったくないのだ。それを見つけるのではなく、発明し、望まなければならない。」
CM, p.464.


さて、東は何を「発明」してくれるんだろうか。
というより、俺たちは何を発明していけんのか、そいつを考えんとね。

そうそう、サルトルのCahiersは未訳だが、ここで使ったデリダのは全部邦訳がある。
Marx & Sons=ジャック・デリダマルクスと息子たち』國分功一郎訳、岩波書店、2004年
Spectres de Marx=ジャック・デリダマルクスの亡霊たち』増田一夫訳、藤原書店、2007年
Politiques de l'amitié=ジャック・デリダ『友愛のポリティックス?・?』鵜飼哲/大西雅一郎訳、みすず書房、2003年

気が向けば参考にしてみてくれ。

以上、ほぼ全文転載した。

僕はデリダサルトルもほとんど知らないから、細かい内容に関して発言は出来ない。よく知りもしないことをさも訳知り顔で語ろうとすると、とんでもない醜態を晒してしまうことになるということは、東が既に身をもって実証してくれているから。今回の一連の出来事の中で、最も恥ずべき東の行為は、自らの発言への批判に対して真摯に向き合おうとせず(実際「読んでいない」と宣言している)、批判者を「はてサ」と一まとめにしてdisってることだろう。一連の批判を「読んでいない」にもかかわらず、「最低の人たち」などと断言してしまう東の態度は「知的怠慢」以外の何者でもない。批判者が自分の言っていることを「理解しようともしない」と批判している自分自身は、彼らの言っていることを理解しようとしているのだろうか。