ヒスパニックとラティーノ

昨晩ほぼ書き上げたエントリが一瞬にして消滅してしまったので、不貞寝していた。でももう一度チャレンジしてみようと思う。

さて、今年はアメリカ大統領選の年である。連日メディアでは大統領選の話題であふれている。今年の大統領選は二期にわたるブッシュの悪政への批判が高まっていることから、民主党政権へと変わるというのが大方の予測であり、報道も民主党に偏っている*1

報道が民主党に偏ると必然的に民主党の大きな支持基盤のひとつである「ヒスパニック票」に関するものが増えてくる。前回、前々回に報道の中心であった宗教右派の特集は今回はほとんど見かけない。

これらの報道を目にして、いつも違和感を感じるのが、「ヒスパニック」という呼称だ。日本における報道はほとんどが「ヒスパニック」一色に染まっている。最近になって朝日新聞が数度「ラティーノ」という呼称を用いているが*2、同じ紙面で別々の呼称が用いられていたり、未だ統一した基準はなさそうである。

まあ、日本ではラティーノことはほとんど知られていないのが現状であるし、「ヒスパニック」というのがカタカナことばとして浸透しているという実情は理解できるのであるが、あまりにも実態と離れた呼称を用いるのはどうかと思うのだ。

というのも、アメリカにおいては「ヒスパニック」という言葉はあまり使われないようになってきているのである。ヒスパニックという言葉を用いるのはどちらかというと保守的な層であり、一般的な報道などではラティーノ*3が普通だ。ちなみに、政府文書などの公式な表記では1997年以降、Hispanic単体の表記からHispanic or Latino/aに変更されている。

それではヒスパニックとラティーノにはどのような違いがあって、それにはどのような意味があるのであろうか。最初に日本語のWikipediaを見てみよう。Wikipediaの「ヒスパニック」の項には次のように書いてある。(全文はリンク先参照)

ヒスパニック(英語:Hispanic、スペイン語:Hispano〔イスパーノ〕)は、メキシコやプエルトリコキューバなど中南米スペイン語圏諸国からアメリカ合衆国に渡ってきた移民とその子孫をいう。中には、先祖が旧メキシコ領に住んでいて、米墨戦争によって居住地がアメリカ合衆国領に組み入れられたため、アメリカ合衆国に移民したわけでもないのにアメリカ合衆国に代々住み着いている*4ヒスパニックもいる。

そして、ラティーノとの違いに関しては

なお、ヒスパニックと同じように使われる言葉に「ラティーノ」(Latino)があるが、ヒスパニックが文字通り「スペイン語圏出身者」を指すのに対し、ラティーノスペイン語圏以外のラテンアメリカ全域の出身者を指す。たとえば、ブラジル出身者はラティーノではあってもヒスパニックではない。また、ヒスパニックとラティーノの単語が同時に使われる場合、ヒスパニックはメキシコ出身者のみを指す事が多い。

とある。ちなみに、「ラティーノ」という独立した項目は未だに存在していない。

この説明は間違えているとは言わないけれど、あまりにも不十分である。「ヒスパニック」が暗示するのは単にスペイン語だけではない。白人であるスペイン人の子孫であるということを強調することによって、自らの「白人性」を確認する言葉でもあるのである。余談であるが、この白人性により固執しているのが、ニューメキシコで用いられている「イスパノ」という呼称だ。ニューメキシコは他の南西部と異なり、特殊な歴史を持っている。米墨戦争当時、現在のアメリカ南西部であるメキシコ領北部は点々と人間が居住するだけで、メキシコ中央政府からも放置されているような地域であった。唯一、ある程度の規模で人間が集住していたのがニューメキシコだった。彼らは放牧を生業とし、自らをスペインのコンキスタドレスの子孫である「イスパノ」と呼んで、そのスペインの伝統を誇っていた。

彼らの「イスパノ」への強いこだわりを示す話として、1960年代のあるメキシカンアメリカン政治組織の結成時の話を紹介しよう。1950年代から次第に政治への進出を始めたメキシカンアメリカンはケネディの大統領選での選挙活動の成功を受けて、南西部全域の統一した政治組織を作ることを思い立った。しかしながら、その組織の呼称をめぐって各州の意見が対立し、結局この組織はカリフォルニア州のみの組織として立ち上げられることとなった。この組織の名前はMexican American Political Association:MAPAというのだが、このメキシカンアメリカンという部分に対して、ニューメキシコの人々は「イスパノ」を用いるべしとしてゆずらなかったのである。*5

1960年代まで、メキシカンアメリカンの人々はその「白人性」に固執*6、白人主流社会へ完全に同化することを目標としてきたという歴史がある。これをひっくり返したのが、自らを「褐色の被抑圧民族」である「チカーノ」と定義し、「奪われた」南西部を自らの手に取り戻すことを政治目標としたチカーノ運動であった。この運動を担ったのはニューレフトの政治思想に染まった大学生を中心とする若者たちだった。

チカーノ運動の対決的な手法や「褐色」という自己表象は、それまでメキシカンアメリカンを代表してきた中産階級を中心とした穏健組織*7には受け入れがたいものであったため、これらの組織とチカーノ組織は激しい非難の応酬をおこなった。しかしながら、政治状況の変化や、当時全国的な問題として表面化した非合法移民問題への対応などさまざまな理由により、彼らは協力する道を選択していくこととなっていく。

この非合法移民問題ラテンアメリカ出自の住民を一つの集団としてまとめる契機となった。非合法移民はそのほとんどがラテンアメリカ出身であったため、アメリカ社会は非合法移民とスペイン語を話す住民を同一視し、激しいバッシングを展開したのである。このバッシングに対抗していくためにはメキシカンアメリカンやプエルトリカンなどといった出身地別の集団では対処しきれないのが明らかになっていったのである。こうして、一つの集団として新たなエスニック・アイデンティティを構築した人々が採用したのが「ヒスパニック」という呼称であった。

ところで、「ヒスパニック」という呼称はもともと政府がチカーノ運動が盛り上がった70年代にラテンアメリカ出自の人々を総称するために作り出した呼称である。その裏には、チカーノ運動によって高揚したチカーノナショナリズムを良しとしない中産階級以上のラテンアメリカ出自の人々を自らの側にとりこんで、階級によって分断しようという意図が隠されていた。つまり、「ヒスパニック」という呼称はそもそも非常に政治的なものであったのである。

1970年代後半以降の左翼退潮の流れの中で、チカーノ組織はその活動を終えていき、再び政治の前面に登場したのは、新たに「ヒスパニック」として自らのエスニック・アイデンティティを再構築したLULACなどの穏健組織であった。しかしながら彼らの多くはチカーノ運動の影響を強く受けており、時の政権と密接な関係を築くことを第一としていた以前とは随分異なった組織へと変貌していた。実際、LULACは非合法移民問題や社会政策をめぐってレーガン政権と激しく対立し、「ゴキブリ政権」と非難するほどであった。同時に、ヒスパニックという様々な人種を包含したエスニック集団としてアイデンティファイすることによって、自らの白人性を優先することが不可能になっていったのであった。

多文化主義が進展していく中で、様々な人種を包含するにもかかわらず、白人性を強調し、また白人主流社会によってつくられた歴史を持つ「ヒスパニック」という呼称は次第に嫌われていくこととなり、代わりに用いられるようになっていったのが「ラティーノ」という呼称*8であった。

以上長々と書いてきたけれど、このように非常に政治的な呼称を、それがもつ歴史を無視して無頓着に用いるのは非常に問題があると思うのである。ラティーノは2000年のセンサスでアメリカ最大のマイノリティになり、今後のアメリカ政治を左右する存在であることは間違いがない。日本においてもラティーノへの理解を深めることは非常に重要である。「ヒスパニック」ということばが無頓着に用いられている現状は、そのままラティーノのことを全く理解していないことのあらわれでもある。

*1:産経の某捏造記者は違うみたいだけど。それと、初の女性候補v.s.初の黒人候補ってのもあるのはもちろんだが。

*2:他にもあるかもしれないけど、あんまり見たことがない

*3:PC的にはラティーノ/ナ(Latino/a)と書くのが適切なのであるが省略する

*4:この記述はあまりにもひどい。米墨戦争の結果強制的にアメリカ市民にされた、いわば勝手に売り渡された人々を「住み着いている」と表現した人物の見識を疑う。

*5:Garcia, Mario T., Memories of Chicano History

*6:これに関しては、法的にはメキシカンアメリカンを白人としつつも、日常的には非白人として扱う白人社会の視線が大きく影響している。

*7:代表的なものとして、League of United Latin American CitizensやG.I. forum、MAPAなどがあげられる

*8:ただし、ラティーノという呼称自体は新しいものではなく、1930年代にはすでに使用されていた。ただ、ラテンアメリカ出自の住民を総称することは一般的でなかったため、あまり広まっていなかったのである。