竹島は日本の「固有領土」ではありません

こんなニュースを見つけた。どうやら文科省竹島を日本の固有領土であると教えることを強制しようとしてるらしい。一連のナショナリズム喚起策の一環であろう。以下朝日の報道。

竹島、日本の領土と明記へ 指導要領解説書で文科省方針
2008年05月18日21時04分

 文部科学省は、12年春から全面実施される中学の改訂学習指導要領の解説書で、韓国と領有権をめぐって争いのある竹島について「我が国固有の領土」と明記する方針を固めた。解説書は7月ごろまでにまとめる予定。法的拘束力はないが、教科書編集などに影響を与えそうだ。

 中学の現行指導要領は「北方領土が我が国の固有の領土であることなど、我が国の領域をめぐる問題に着目させる」と書いてあり、改訂後も変わらない。改訂にあたっては、自民党の一部から「竹島も明記すべきだ」との声が上がり、文科省が公募した意見でも同様の主張が数多くあったが、日韓首脳会談で「シャトル外交」再開に合意した時期だったこともあり、見送られた。解説書に記すのは、こうした意見にも配慮するためとみられる。

 文科省が作成する解説書は、教師が授業を実施するにあたっての指針になると同時に、出版社が教科書を作成する際に参考にしている。現在は中学の公民、地理ですべての教科書が北方領土問題について記しているのに対し、竹島はまちまち。解説書に載ることで、取り上げる教科書が増えるとみられる。

 ■韓国政府当局者は「事実なら適切な措置」

 韓国政府当局者は18日、「日本の報道内容を確認中だが、事実と確認された場合には、政府として(抗議や是正要求など)適切な措置を取る計画だ」と述べた。聯合ニュースが伝えた。(ソウル)

韓国の政権が変わって日韓関係が落ち着きそうだとの観測が流れたとたんに相手を挑発するこの行為。どうやら日韓友好は望んでいないらしい。敵を作ったほうがいろいろと都合がいいから。

ところで、日本においては竹島は日本の固有の領土という言説はかなり受け入れられている。竹島は日本の固有の領土ではないとしている報道は見たことがない。現在の状況下で日本人が竹島は日本の領土ではないと発言するのは非常に勇気のいることだろう。

しかしながら、現在外務省の主張する「固有領土説」は非常に疑わしい。参考までに現在の外務省の主張は以下の通りである。

竹島の領有権に関する我が国の一貫した立場

竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに我が国固有の領土です。
韓国による竹島の占拠は、国際法上何ら根拠がないまま行われている不法占拠であり、韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行ういかなる措置も法的な正当性を有するものではありません。
※韓国側からは、我が国が竹島を実効的に支配し、領有権を確立した以前に、韓国が同島を実効的に支配していたことを示す明確な根拠は提示されていません。

以下この主張を、内藤正中・金柄烈著『史的検証 竹島・独島』(岩波書店、2007年)をもとに検討する。


まず、日本の固有の領土という説であるが、これは以下の点から明らかに破綻している。

1.日本は(A)1696(元禄9)年と(B)1877(明治10)年の二回にわたって、竹島は日本の領土ではないと宣言している。

(A)については、幕府が竹島(現鬱陵島)への渡航を禁止したものであるが、当時竹島と呼ばれていた鬱陵島のみを対象としており、松島(現竹島)は含まれていないと日本政府は主張している。しかしながら、当時竹島鬱陵島)は因州・伯州に付属すると考えていた、老中阿部豊後守による「因州伯州へ付けている竹島は、いつから両国に附属する事になったのか…」「竹島の外に因伯両国に附属する島はあるか…」という問いに対して、鳥取藩は「竹島松島其外両国の附属の島はない」と返答している。これを受けて幕府は竹島への渡航を禁止することとなった。(40−42頁)
また、1837(天保8)年にも幕府は再度竹島への渡海を禁じたが、これに関して内藤正中は以下のように述べている。

こうして幕府は、1837(天保8)年2月21日付で、改めて「異国渡海の儀は重きご禁制に候」といい、特に竹島渡海については、「元禄の度朝鮮国え御渡しに相成り候 以来渡海停止仰せ出され候場所にこれ有り」と述べて、竹島渡海禁止はもちろん、「遠い沖乗り致さざる様」と遠い沖合いでの航海についても注意を喚起して、浦方村町ともに洩れなく周知徹底を図るように厳命したのである。元禄度につづく二回目の竹島渡海禁止令であった。竹島はいけないが松島は許されると解釈できるようなものではなかったはずである。(65頁)

(B)については内務省が提出した伺を太政官が決裁したことを指す。このさい、内務省は「竹島外一島のことは本邦に関係をもたないものと心得べき事」という指令案(『明治十年三月 公文録 内務省之部一』所収の「日本海竹島外一島地籍ニ編纂方伺」国立公文書館所蔵)を作成し、岩倉具視らによって原案通り承認すると決裁された。(72頁)

2.1905年の竹島編入の際用いられたのは、「無主地先占」の理論である。

 現在日本政府はこの領土編入の決定を「領有の再確認」であると主張している。しかしながら、1905年の日本政府の閣議決定の際には、

・・・無人島ハ他国ニ於テ之ヲ占領シタリト認ムヘキ形跡ナク、・・・今回領土編入並貸下ヲ請願セシ所、此際所属及島名を確定スルノ必要アルヲ以テ、該島ヲ竹島ト名ケ、自今島根県所属隠岐島司所管ト為サントスト謂フニ在リ、・・・依テ審査スルニ、明治三十六年以来中井養三郎ナル者該島に移住シ漁業ニ従事セルコトハ、関係書類ニ依リ明ナル所ナレバ、国際法上占領の事実アルモノト認メ、之ヲ本邦所属トシ・・・(79頁)

といっている。そもそもこの閣議決定には重大な問題が存在する(後述)が、無主地という主張を行なっている以上、「固有の領土」であるとは言えず、現在の政府の主張とは相容れない。

3.無主地先占の論理には疑問がのこる

1905年の閣議決定の際、「他国ニ於テ之ヲ占領シタリト認ムヘキ形跡ナク」と述べているが、実際には1900年に韓国政府は大韓帝国勅令第四十一号によって、独島への領有権を示している。(77頁)


また、中井養三郎の「移住」をもって「国際法上占領の事実アルモノト認メ」としているが、これも事実ではない。これに関して内藤は

中井とリヤンコ島とのかかわりは、四月から八月にかけてのアシカの漁期にだけ出漁し、小屋を仮設して「毎回十日間仮居」していただけであり、そこに「移住」して生活していたわけではない。(80頁)

と述べている。

当時現在の竹島が韓国領であるという認識は広く共有されていた。例えば、海軍水路部発行の1894(明治27)年版、1899(明治32)年版『朝鮮水路誌』には、松島(鬱陵島)、リアンコールト列岩(現竹島)と記してある。一方、1892年以降に次々と刊行された『日本水路誌』には松島、リアンコールト列岩は共に記されていない。また、竹島編入の中心的人物の一人であった外務省政務局長山座円次郎が1904(明治37)年7月23日付で序文を寄せた、岩永重華著『最新韓国実業指針』(宝文館刊)では、江原道のなかでヤンコ島(現竹島)として

鬱陵島及び我が隠岐島の中間三十里の海上にあり、全島居民なし・・・

と記されている。
また、もう一人の中心人物農商務省水産局長牧朴真が序文を寄せた1903(明治36)年刊行の葛生修亮著『韓海通漁指針』(黒龍会出版部刊)も江原道ヤンコ島として、

・・・晴天の際鬱陵島山峰の高所より之を望むを得べし・・・

と記している。竹島編入に動いた日本政府役人も韓国領であるとの認識をその直前まで示していたわけである。(86頁)

これまで見たように当時ヤンコ島(リアンコールト列岩、竹島)が韓国領であるという認識は共通していた。それにもかかわらず、突如領土編入へと舵を切ることになったのは、日露戦争が原因であった。外務省山座円次郎の言葉を借りれば、「時局ナレバコソ領土編入ヲ急務トスルナリ」ということであり、その理由は「望楼ヲ建築シ無線若クハ海底電線ヲ設置セバ敵艦監視上極メテ屈境ナラズヤ」というものであった。つまり、日本海におけるウラジオストック艦隊やバルチック艦隊と決戦する上で、竹島が非常に重要な位置にあったというわけである。(95頁)


次に竹島は現在どちらのものかという問題に移る。

この問題の鍵となるのはサンフランシスコ講和条約の解釈であることは論を俟たない。外務省は、

1951(昭和26)年9月に署名されたサンフランシスコ平和条約は、日本による朝鮮の独立承認を規定するとともに、日本が放棄すべき地域として「済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮」と規定しました。

とし、「放棄すべき地域」に竹島の名前が挙げられていないことをもって、日本に帰属するとしている。

一方、韓国は1946年1月29日の連合国総司令部SCAPIN677の「若干の外郭地域の日本からの政治上及び行政上の分離に関する覚書」において、日本政府の行政権が停止される指定地域の中に、朝鮮関係のものとして鬱陵島済州島とともに竹島が挙げられており、講和条約によってSCAPIN677と矛盾する措置がとられるはずはなく、実質的な変更はないと主張している。

サンフランシスコ講和条約における竹島(独島)の扱いはかなり揺れ動いている。第一次〜第五次草案までは、竹島は放棄すべき地域に含まれている。しかし、第六次草案においては一転して竹島は日本の領土と明記されることとなった。この背景には、連合軍最高司令部政治顧問ウィリアム・シーボルトの以下のような認識があった。

朝鮮方面でかつて日本が領有していた諸島の処分に関し、リアンクール岩(竹島)が我々の提案にかかる第三条において、日本に属するものとして明記されることを提案する。この島に対する日本の領土主張は古く、正当と思われ、かつそれを朝鮮沖合の島というのは困難である。また、合衆国の利害に関係ある問題として、安全保障の考慮からこの島に気象およびレーダー局を設置することが考えられるかもしれない。

シーボルトはまた、竹島に関して

1905年に日本より正式に、朝鮮の抗議を受けることなく領土主張がなされ、島根県隠岐島司の管轄下におかれた。・・・竹島には朝鮮名がなく、かつて朝鮮によって領土主張がなされたとは思わない。

とも述べている。(105−106頁)ただ、この認識はこれまで見てきたとおり、正確ではない。

この後、日本から竹島を除いた英国案との折衝を経て、日本国の領土として島々の名前を列挙することもやめてしまった。その結果、「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対する全ての権利、権原及び請求権を放棄する」という文面に落ち着いたのである。

日本国の領土であるという記述も削除されたわけであり、結局竹島に関しては曖昧なまま放置したといえるだろう。

ところで外務省は、1951年8月のラスク極東担当国務次官補の韓国政府への回答

「・・・合衆国政府は、1945年8月9日の日本によるポツダム宣言受諾が同宣言で取り扱われた地域に対する日本の正式ないし最終的な主権放棄を構成するという理論を(サンフランシスコ平和)条約がとるべきだとは思わない。ドク島、または竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐島支庁の管轄下にある。この島は、かつて朝鮮によって領有権の主張がなされたとは見られない。・・・・」

を挙げ、「竹島は我が国の領土であるということが肯定されていることは明らかです。」と主張している。しかし金によれば、この当時のアメリカの情報源は日本政府であって、韓国政府は条約の当事者ではない上に、朝鮮戦争で手一杯だったため、第五次草案まで放棄する対象であった竹島が日本領に変わっているということに気づいてさえいなかったとしている。ただ、このアメリカの認識はその後ずっと維持されたわけではない、1952年10月*1に日本駐在アメリカ大使館が国務省に送ったメモでは従来の見解が変更されたことが示されている。以下引用

アシカの立派な住居となるその岩は、一時は朝鮮王朝の領土であった。もちろんその岩は、日本がその帝国主義的勢力を韓国にまでのばしていた時は、韓国のほかの領土とともに日本に併合されていた。ところで、その帝国統治の過程において、日本政府は公式にこの領土を日本に帰属させ、県の行政管轄下においた。したがって日本が、「済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」ことと規定したサンフランシスコ講和条約の第二条に同意したとき、この条約案の作成者は、この岩を日本が放棄した島々の中に入れなかったのであった。これらの理由で日本は自国の主権が猶この島に及んでいると推定している。もちろん韓国は、このような推定に対して異議を申し出ている。(107−108)

こうした認識の変化もあって、条約案から日本の領土であるという文言が削られ、あいまいなままにされたのではないかと内藤は推論している。

その他の論点として内藤は、1948年以降条約発効まで韓国政府が独島として統治権を有していた地域に関して、平和条約をもって条約締結国ではない韓国から統治権を奪うことが出来るのかという問題を挙げている*2。このへんの法学的な問題は詳しくないので、はっきりしたことは言えない。

サンフランシスコ条約の解釈をめぐっては、僕ははっきりとした断定はできない。「日本の固有の領土論」は明らかに破綻している。日本の固有の領土ではないとなると、日本の領有の根拠は1905年の無主地先占論に基づいた閣議決定とならざるをえない。しかしこれも明らかに誤った認識の下に強行されたものである。日本が竹島領有を主張するためには、サンフランシスコ条約一点突破を狙うしかないだろうけど、それにしたって、日本の領土であるとは明記されていないのだから、これだけでは弱いのではないだろうか。

今回の記事は『史的検証 竹島・独島』に主によっている。2007年の出版で最新の研究であること、過去の日本固有領土論の研究をきちんと根拠を挙げて批判していること、その実証方法に瑕疵はないと思えることなどから、この本は信用できる研究であると判断した。僕が今回引いてきたのはごく一部にすぎないので、是非実際に本を手にとっていただきたい。

[追記]コメント欄のひまじんさんにお返事書きました。しかし調べれば調べるほど日本の主張は無理が有るように思われてくる。


[追記2]コメント欄は容量オーバーのため、続きはこっちでやってください。
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*1:ラスクの回答の14ヵ月後

*2:これに関して金は近年の国際裁判所の仲裁判例において、条約非締結国でも特定条約の効力を絶対的に否定できるものではないと言っている点も考慮に入れる必要があると述べている。