大江裁判 各新聞社 社説比較

「沖縄の集団自決(集団強制死)は僕のせいじゃないもんっ!いい加減なことを書いた大江健三郎は謝れっ!」と元座間味島守備隊長と元渡嘉敷島守備隊長の弟が大江健三郎にいちゃもんをつけた裁判の判決が下され、原告側の全面的な敗訴が言い渡された。判決内容はこちらを参照のこと。

ネット上では早速、産経をはじめとする歴史修正主義勢力が「不当判決だ!」と大騒ぎしているみたいだが、とりあえず各社の社説をまとめてみた。

毎日新聞社説:沖縄ノート判決 軍の関与認めた意味は大きい

 

軍の関与認定にまで踏み込んだことは、歴史認識や沖縄の心、極限状況における軍と国民の関係を考える議論に一石を投じるもので、その意味は大きい。…(中略)…

 裁判は、06年度の高校日本史教科書の検定にも影響を与えた。文部科学省は、原告らの主張を根拠の一つとして、軍の「強制」があったという趣旨の記述に対して検定意見を付け、これを受けていったんは修正、削除された。

 しかし、沖縄県民をはじめとした激しい反発が起こり、軍の「関与」を認めたり「強制的」とする記述が復活した。判決は、当初の検定意見に見られる文科省の認識のあやふやさに疑問を突きつけた形で、文科省として反省と検証が必要である。…(中略)…

 しかし、客観的な事実の検証なくして、歴史の教訓を導き出すことはできない。判決はそうした点で、一つ一つの事実を冷静に判断することの重要性を示したものと受け止めたい。

軍の関与認定を高く評価している。教科書検定にも言及し、文科省の責任にも触れているが、やわらかい表現。原告とそれを取り巻く歴史修正主義者に関してはほとんど言及がない。この点かなり中途半端な印象。

朝日新聞社説:集団自決判決―司法も認めた軍の関与

 

太平洋戦争末期の沖縄戦で、米軍が最初に上陸したのは那覇市の西に浮かぶ慶良間諸島だ。そこで起きた「集団自決」は日本軍の命令によるものだ。

 そう指摘した岩波新書沖縄ノート」は誤りだとして、慶良間諸島座間味島の元守備隊長らが慰謝料などを求めた裁判で、大阪地裁は原告の訴えを全面的に退けた。

 集団自決には手投げ弾が使われた。その手投げ弾は、米軍に捕まりそうになった場合の自決用に日本軍の兵士から渡された。集団自決が起きた場所にはすべて日本軍が駐屯しており、日本軍のいなかった所では起きていない。

 判決はこう指摘して、「集団自決には日本軍が深くかかわったと認められる」と述べた。そのうえで、「命令があったと信じるには相当な理由があった」と結論づけた。

 この判断は沖縄戦の体験者の証言や学問研究を踏まえたものであり、納得できる。高く評価したい。

 今回の裁判は、「沖縄ノート」の著者でノーベル賞作家の大江健三郎さんと出版元の岩波書店を訴えたものだが、そもそも提訴に無理があった。

 「沖縄ノート」には座間味島で起きた集団自決の具体的な記述はほとんどなく、元隊長が自決命令を出したとは書かれていない。さらに驚かされたのは、元隊長の法廷での発言である。「沖縄ノート」を読んだのは裁判を起こした後だった、と述べたのだ。

 それでも提訴に踏み切った背景には、著名な大江さんを標的に据えることで、日本軍が集団自決を強いたという従来の見方をひっくり返したいという狙いがあったのだろう。一部の学者らが原告の支援に回ったのも、この提訴を機に集団自決についての歴史認識を変えようという思惑があったからに違いない。

 原告側は裁判で、住民は自らの意思で国に殉ずるという「美しい心」で死んだと主張した。集団自決は座間味村の助役の命令で起きたとまで指摘した。

 だが、助役命令説は判決で「信じがたい」と一蹴された。遺族年金を受けるために隊長命令説がでっちあげられたという原告の主張も退けられた。

 それにしても罪深いのは、この裁判が起きたことを理由に、昨年度の教科書検定で「日本軍に強いられた」という表現を削らせた文部科学省である。元隊長らの一方的な主張をよりどころにした文科省は、深く反省しなければいけない。

 沖縄の日本軍は1944年11月、「軍官民共生共死の一体化」の方針を出した。住民は子どもから老人まで根こそぎ動員され、捕虜になることを許されなかった。そうした異常な状態に追い込まれて起きたのが集団自決だった。

 教科書検定は最終的には「軍の関与」を認めた。そこへ今回の判決である。集団自決に日本軍が深くかかわったという事実はもはや動かしようがない。

軍の関与認定を高く評価。軍民共生共死に言及しているのも評価できる。文科省の責任に関しても厳しい言葉で追及している。著名な大江健三郎を標的とすることで世間の関心を集めようとした歴史修正主義者の思惑を厳しく指弾している部分は高く評価できる。また、原告の裁判における主張を批判しているのも評価できる。
全国紙の中ではもっともよい社説だった。

東京新聞社説:沖縄ノート訴訟 過去と向き合いたい

 判決は原告の請求を棄却した。まず「沖縄ノート」が戦後民主主義を問い直した書籍であり、公共性と公益性を認定。自決を命令したなどの記述も、学説の状況や文献などから「真実と信じる」理由があった、とした。

 記述に公共性、公益性、真実性があれば名誉棄損は成立しない。判決は三要件を認めており、これまでの判例を踏襲している。

この点に詳しく言及しているのは東京新聞だけ。

判決を何よりも評価すべきは「集団自決に軍が深くかかわった」とあらためて認定したことだろう。多角的な証拠検討が行われ「軍が自決用の手榴弾(しゅりゅうだん)を配った」という住民の話の信用性を評価し、軍が駐屯した島で集団自決が起きたことも理由に挙げている。沖縄戦を知るうえでこれらは欠かせない事実であり、適切な歴史認識といえよう。

やはり軍の関与の認定を高く評価。

原告は、遺族年金を受けるために住民らが隊長命令説をねつ造したと主張したが、判決は住民の証言は年金適用以前から存在したとして退けた。住民の集団自決に軍の強制があったことは沖縄では常識となっている。沖縄戦の本質を見つめていくべきだ。

 文部科学省は昨春の高校教科書の検定で「軍の強制」表現に削除を求めた際、この訴訟を理由にしていた。検定関係者の罪は大きかったと言わざるを得ない。

原告の主張の大嘘を指摘。文科省も批判。

沖縄タイムス社説:史実に沿う穏当な判断

 

 今回の判決でもう一つ注目したいのは、体験者の証言の重みを理解し、さまざまな証言や資料から、島空間で起きた悲劇の因果関係を解きほぐそうと試みた点だ。

 一九八二年の教科書検定で文部省(当時)は、日本軍による住民殺害の記述にクレームをつけ修正を求めた。記述の根拠となった「沖縄県史」について「体験談を集めたもので研究書ではない」というのが文部省の言い分だった。あしき文書主義というほかない。

 文書は貴重な歴史資料である。だが、文書だけに頼って沖縄戦の実相に迫ることはできない。軍の命令はしばしば、口頭で上から下に伝達されており、命令文書がないからと言って自決命令がなかったとは言い切れない。

 今回の判決は、沖縄戦研究者が膨大な聞き取りや文書資料の解読を基に築き上げた「集団自決」をめぐる定説を踏まえた内容だといえるだろう。

 
歴史研究における証言者の重要性を指摘。この問題は沖縄だけではなく、従軍慰安婦南京事件などに関しても同様である。今回文科省が検定の根拠にあげたのはこの訴訟と「研究書」とは間違えても呼べない曽野綾子の「ある神話の背景」などの「新たな研究」及び、軍の関与を主張している林博史教授の研究の恣意的な引用であった。社説のこの部分は、都合の悪い場合には「研究書ではない」などといいわけする文科省ダブルスタンダードを厳しく批判している。

「住民殺害」も根は一つ


 戦後世代の私たちは、ごく普通に「集団自決」という言葉を使う。だが、この言葉は戦後に流布したもので、沖縄戦の際、住民の間で一般に使われていたのは「玉砕」という言葉である。

 座間味でも渡嘉敷でも、島の人たちは、折に触れて幾度となく「米軍が上陸したら捕虜になる前に玉砕せよ」と軍から聞かされてきた。

 「軍官民共生共死」―軍はそのような死生観を住民にも植え付け、投降を許さなかった。部隊の配置など軍内部の機密がもれることを心配したのである。日本軍がどれほど防諜に神経をとがらせていたかは、陣中日誌などで明らかだ。

 実際、米軍への投降を呼び掛けたためにスパイと見なされて殺害されたり、投降途中に背後から狙撃されて犠牲になった人たちが少なくない。

 「集団自決」と「日本軍による住民殺害」は、実は、同じ一つの根から出たものだ。

 座間味や渡嘉敷では、住民に手りゅう弾が手渡されていたことが複数の体験者の証言で明らかになっている。今回の判決もその事実を重視し、軍の関与を認定した。「沖縄で集団自決が発生したすべての場所に日本軍が駐屯し、日本軍のいなかった渡嘉敷村の前島では集団自決は発生していない」とも判決は指摘している。

守備隊の住民殺害にも言及し、軍民共生共死の思想が全ての根源であると指摘。

 

大江健三郎さんの「沖縄ノート」が発行されたのは復帰前の一九七〇年のことである。なぜ、今ごろになって訴訟が提起されたのだろうか。私たちはここに、昨年の教科書検定と今回の訴訟の政治的つながりを感じないわけにはいかない。

 高校教科書の検定作業真っ盛りの昨年八月、安倍晋三前首相の側近議員が講演で「自虐史観は官邸のチェックで改めさせる」と発言したという。文部科学省の教科書調査官は、係争中の今回の訴訟を引き合いに出して軍の強制を否定し、記述の修正を求めた。昨年の検定が行き過ぎた検定であったことは、判決でも明らかだと思う。

 ところで、名誉回復を求めて提訴した元戦隊長や遺族は、黙して語らない「集団自決」の犠牲者にどのように向き合おうとしているのだろうか。今回の訴訟で気になるのはその点である。

歴史修正主義者の策動およびそれに乗じた文科省を厳しく批判。更に、原告の犠牲者を踏みにじるような主張に対しても婉曲的に批判している。さすが沖縄の新聞であり、この問題を一貫して扱ってきただけあって、事件の背景や文科省の態度などを詳細に検討し、批判している。

琉球新報社説:大江訴訟判決 体験者の証言は重い/教科書検定意見も撤回を

 岩波側の証拠として提出された女性の証言には「『自決しなさい』と手榴弾を渡された」とある。「軍官民共生共死」の意識を徹底させられた住民にとっては、軍民は一体であり「命令」と受け取るしかないだろう。判決にもある通り、この女性だけでなく多くの住民が同じような証言をしており、軍関与を認めた判決は妥当といえよう。
 さらに判決が「集団自決」の要因として、前島の事例を挙げたのは分かりやすい。住民を守るはずの軍隊が駐屯した島で惨劇が起き、その一方で無防備の島では多くの住民が救われた。「集団自決」の本質にかかわる重要な指摘だ。
 原告側の「激しい戦闘で追い込まれ、死を覚悟した住民の自然の発意によるもので、家族の無理心中」という主張は、県民の思いとあまりにも懸け離れている。
 被告側の大江さんは「非常につらい悲劇についての証言が裁判に反映された。心から敬意を表したい」と語った。
 戦時の極度の混乱状況では、書類など物的証拠が残されることはほとんどない。それ故に、戦争体験者の証言は貴重である。地裁がその証言を重視したことは、沖縄戦の史実の真偽について争う今後の議論にも影響を与えるに違いない。

…(中略)…

 今回の判決はここだけにとどまらない。高校歴史教科書検定問題である。昨年3月、文部科学省教科書検定で、高校の歴史教科書から「集団自決」の「軍の強制」記述が修正・削除された。検定意見の根拠の一つとなったのが、梅澤氏が訴訟に提出していた陳述書である。判決ではその陳述書が否定された。修正・削除は教科書検定審議会の慎重さを欠く突出した対応であり、いっそう批判を浴びることは免れない。司法判断を受けた今、検定審議会は検定意見を速やかに撤回するべきである
 原告側は週明けにも控訴することを表明した。「軍の関与をもって、隊長命令に相当性があるとすることは、明らかに論理の飛躍がある」という主張である。
 ここで問題にすべきは、大江さんの言うように「個人の犯罪」ではなく、「太平洋戦争下の日本国、日本軍、現地の第32軍、島の守備隊をつらぬくタテの構造の力」による強制であろう。
 戦争の体験者は「人が人でなくなる」と繰り返し語る。国家の思想が浸透され、個人の意思を圧倒する。タテの構造により命令が徹底され、住民は「軍官民共生共死」を強要される。
 この裁判によって、沖縄戦史実継承の重要性がいっそう増した。生き残った体験者の証言は何物にも替え難い。生の声として録音し、さらに文字として記録することがいかに重要であるか。つらい体験であろう。しかし、語ってもらわねばならない。「人が人でなくなる」むごたらしい戦争を二度と起こさないために。

軍の関与を認定した判決を妥当と評価。沖縄タイムスと同様に、体験者の証言の重要性を指摘している。この主張は、「軍の命令書」がないかぎりなかったのだと主張する歴史修正主義者を厳しく批判しているのだろう。検定の撤回にまで言及しているのは琉球新報だけ。

今回の判決を評価している社説はここまで。「軍の関与」を認定したことを評価する点、文科省の責任に言及している点は共通している。軍の関与の認定を評価するのは、集団自決の背景には「軍民共生共死」の思想があり、単純な「命令の有無」の問題ではないとの認識があるからであろう。

読売新聞社説:集団自決判決 「軍命令」は認定されなかった
判決は、旧日本軍が集団自決に「深く関与」していたと認定した上で原告の訴えを棄却した。

 

しかし、「自決命令それ自体まで認定することには躊躇(ちゅうちょ)を禁じ得ない」とし、「命令」についての判断は避けた。

 昨年の高校日本史教科書の検定では、例えば「日本軍に集団自決を強制された」との記述が「日本軍の関与のもと、配布された手榴(しゅりゅう)弾などを用いた集団自決に追い込まれた」と改められた。

 軍の「強制」の有無については必ずしも明らかではないという状況の下では、断定的な記述は避けるべきだというのが、検定意見が付いた理由だった。

 史実の認定をめぐる状況が変わらない以上、「日本軍による集団自決の強制」の記述は認めないという検定意見の立場は、妥当なものということになるだろう。…(中略)…
 ただ、集団自決の背景に多かれ少なかれ軍の「関与」があったということ自体を否定する議論は、これまでもない。この裁判でも原告が争っている核心は「命令」の有無である。

「軍の関与」と「軍の強制」は違うから、文科省は正しかったという主張。「関与」自体は否定していないというのもよく聞く言説であるが、強制していない関与というものが一体どのようなものなのか教えていただきたい。更には、そう主張することで軍の責任が軽減されるとでも思っているのだろうか。そもそも、集団自決における軍の責任を追及している人は、直接的な「強制の有無」などではなく、軍が命令系統のトップに君臨し、軍民共生共死を徹底していった構造を問題視しているのだから、このような主張はピントが外れているとしか言いようがない。「不当判決だ」と言いたいけれど、全国紙としての面子もあるからそうは言えない読売のアンビバレントな立ち位置が見事に現れているといえるだろう。id:Apemanさんがすでに批判していた。

さて、お待たせしました。産経新聞主張:沖縄集団自決訴訟 論点ぼかした問題判決だ

 

教科書などで誤り伝えられている“日本軍強制”説を追認しかねない残念な判決である。

 この訴訟で争われた最大の論点は、沖縄県の渡嘉敷・座間味両島に駐屯した日本軍の隊長が住民に集団自決を命じたか否かだった。だが、判決はその点をあいまいにしたまま、「集団自決に日本軍が深くかかわったと認められる」「隊長が関与したことは十分に推認できる」などとした。

 そのうえで、「自決命令がただちに事実とは断定できない」としながら、「その(自決命令の)事実については合理的資料や根拠がある」と結論づけた。

 日本軍の関与の有無は、訴訟の大きな争点ではない。軍命令の有無という肝心な論点をぼかした分かりにくい判決といえる。

さすが産経。タイトルに堂々と「問題判決」と掲げている。産経も「命令の有無」に問題を矮小化している。今回は名誉毀損が争点であるのだから、隊長の関与が「推認できる」「合理的資料や根拠がある」かどうかが訴訟の「核心」である。軍の関与が認定でき、隊長の命令が推認できる十分な根拠があるのであれば、「公共性、公益性、真実性」が認められ、名誉毀損は成立しないというのが判決の中心であるのであるが、それが一切理解できない様子である。

 

訴訟では、軍命令は集団自決した住民の遺族に援護法を適用するために創作された、とする沖縄県の元援護担当者らの証言についても審理された。大阪地裁の判決は元援護担当者の経歴などから、証言の信憑(しんぴょう)性に疑問を示し、「捏造(ねつぞう)(創作)を認めることはできない」と決めつけた。

 しかし、本紙にも証言した元援護担当者は琉球政府の辞令や関係書類をきちんと保管し、経歴に疑問があるとは思われない。これらの証言に対する大阪地裁の判断にも疑問を抱かざるを得ない。

産経が一生懸命プッシュした新証言者「照屋昇雄」の証言が採用されなかったことへの恨み言。この証言に関しては、
1950年 軍命令説を記述した「鉄の暴風」出版
1952年 戦傷病者戦没者遺族等援護法
1954年 照屋昇雄琉球政府職員として採用
という前後関係から見ても、照屋が「援護法の適用のために軍が命令したことにした」という証言は一切信用がならないということは明白である。
これに関してはni0615さんのこのエントリを参照されたし。

集団自決が日本軍の「命令」によって行われた、と最初に書いたのは、沖縄タイムス社編「鉄の暴風」(昭和25年、初版は朝日新聞社刊)である。その“軍命令”説が大江氏の「沖縄ノート」などに引用された。その後、作家の曽野綾子氏が渡嘉敷島などを取材してまとめたノンフィクション「ある神話の背景」で、「鉄の暴風」や「沖縄ノート」の記述に疑問を提起し、それらを裏付ける実証的な研究も進んでいる。

「それらを裏付ける実証的な研究」とは一体なにを指しているのだろうか。そんな研究があるなら、原告側が当然証拠提出しているはずなのだけれど、聞いたことないな。誰か教えてください。

判決前の今年2月、座間味島で日本軍の隊長が集団自決を戒めたとする元防衛隊員の証言も出てきた。控訴審で、これらの新証言も含めて審理が尽くされ、適正な判断を期待したい。

ただいま売り出し中の「新証言者」宮平秀幸にも言及している。必死だなー。宮城初枝さんの弟であるこの人物に関しては、すでに山崎行太郎氏がその証言の真実性に関して疑義を呈しているこちらも。宮平も照屋と同じ運命をたどることになる可能性が高い*1

ながくなったので、とりあえずここまで。

http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20080319/1205930571

*1:それにしても、こういったうそ臭い証言がどうして出てくるのだろうか。こういった人々の動機には非常に興味がある

新国歌制定?

最近、ニコ動をよく利用する。主にBGM系を再生しながら別の作業を行っているのだが、そこに書き込まれているコメントが気になるのだ。

ニコ動のBGM系にはアニソンやゲームの曲なんかをまとめたBGM集が多いのだが、ある種の曲が流れると、一斉に「国歌」などと書き込まれる。つまり、その曲が国歌だといっているのである。また、それに対して否定的なコメントは見たことがない。ちなみに今のところ僕が確認しているのはドラクエのテーマ曲と鳥の歌(Airというゲームの主題歌)ぐらいである。こういった曲は確かにいい曲だし、オタク層にはかなり浸透している。

僕はニコ動利用者の多くは2chの利用者とかぶると認識していたから、「君が代」以外の曲を国歌だと主張するような言説にはそれなりの反発があっておかしくないと思っていたのだけれど、それが一切ないから非常に不思議だった。もしかしたら、僕が知らないだけで、何らかのもとネタがあるのかもしれないし、反発するようなコメントがないのは「空気を読んでいる」だけなのかもしれない。

国歌の強制を強く主張する人たちの中には、別に君が代ではなくてもよく、「国歌」というものが大好きなだけという人たちが結構いたりするのだろうか。確かに、君が代は曲としては好きじゃないなんてことを言っている人も見かけたことがある。もしかしたら、君が代以外の曲を新しい国歌にしようという運動が起こったら賛成に回ったりするのだろうか。

まあ、実際に変えるなんてことになったら、「君が代は伝統だから護らなければいけない」なんてことを言い出すのかもしれないけど。

とりあえず、僕はドラクエのテーマを新国歌にすることには賛成だ。スペイン国歌みたいにインストの国歌のほうが対立も生まないだろうし。でもドラクエのテーマを国歌にしようとしても作曲者*1は絶対に反対するだろうな。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/dj19/20080329/1206780689

靖国

映画「靖国」に関して新たな動きがあったようだ
靖国”上映を取りやめ “靖国”上映を取りやめ 「テナントに迷惑も」、東京

先日のプリンスホテルに続き、またもや勝手な「自粛」が行なわれたようだ。

映画館側は「問題が起きると、映画館が入居するビルのテナントに迷惑を掛ける可能性もあり、総合的に判断した」と説明している。
取りやめを決めたのは、東京・新宿の映画館「新宿バルト9」。映画は4月12日から都内4館のほか、大阪や福岡で上映される予定だった。
配給・宣伝会社「アルゴ・ピクチャーズ」によると、今月15日に映画館の運営会社「ティ・ジョイ」から「作品編成の都合で上映ができなくなった」と報告があった。
ティ・ジョイの担当者は取材に対し「編成上の都合」としながらも「話題になっている作品なので問題が起きる可能性もあり、ビルのテナントに迷惑を掛けたくない」と話している。

こういった態度が強引な圧力でものごとを有利に導きたい勢力をますます調子付かせるのかと思うと、暗澹たる気分になる。こうなったら、みんなで映画を見に行って他の上映館に多大な収益をもたらすことによって、「ティ・ジョイ」を見返してやらねばならない。同時に、稲田をはじめとする「愛国」勢力に、このようなことを行なっても逆効果だということを知らしめてやらねばならない。今求められているのは、行動力と1800円の出費だ(学生は1500円)!

さあ、みんなで「靖国」を見に行こう!

ヒスパニックとラティーノ

昨晩ほぼ書き上げたエントリが一瞬にして消滅してしまったので、不貞寝していた。でももう一度チャレンジしてみようと思う。

さて、今年はアメリカ大統領選の年である。連日メディアでは大統領選の話題であふれている。今年の大統領選は二期にわたるブッシュの悪政への批判が高まっていることから、民主党政権へと変わるというのが大方の予測であり、報道も民主党に偏っている*1

報道が民主党に偏ると必然的に民主党の大きな支持基盤のひとつである「ヒスパニック票」に関するものが増えてくる。前回、前々回に報道の中心であった宗教右派の特集は今回はほとんど見かけない。

これらの報道を目にして、いつも違和感を感じるのが、「ヒスパニック」という呼称だ。日本における報道はほとんどが「ヒスパニック」一色に染まっている。最近になって朝日新聞が数度「ラティーノ」という呼称を用いているが*2、同じ紙面で別々の呼称が用いられていたり、未だ統一した基準はなさそうである。

まあ、日本ではラティーノことはほとんど知られていないのが現状であるし、「ヒスパニック」というのがカタカナことばとして浸透しているという実情は理解できるのであるが、あまりにも実態と離れた呼称を用いるのはどうかと思うのだ。

というのも、アメリカにおいては「ヒスパニック」という言葉はあまり使われないようになってきているのである。ヒスパニックという言葉を用いるのはどちらかというと保守的な層であり、一般的な報道などではラティーノ*3が普通だ。ちなみに、政府文書などの公式な表記では1997年以降、Hispanic単体の表記からHispanic or Latino/aに変更されている。

それではヒスパニックとラティーノにはどのような違いがあって、それにはどのような意味があるのであろうか。最初に日本語のWikipediaを見てみよう。Wikipediaの「ヒスパニック」の項には次のように書いてある。(全文はリンク先参照)

ヒスパニック(英語:Hispanic、スペイン語:Hispano〔イスパーノ〕)は、メキシコやプエルトリコキューバなど中南米スペイン語圏諸国からアメリカ合衆国に渡ってきた移民とその子孫をいう。中には、先祖が旧メキシコ領に住んでいて、米墨戦争によって居住地がアメリカ合衆国領に組み入れられたため、アメリカ合衆国に移民したわけでもないのにアメリカ合衆国に代々住み着いている*4ヒスパニックもいる。

そして、ラティーノとの違いに関しては

なお、ヒスパニックと同じように使われる言葉に「ラティーノ」(Latino)があるが、ヒスパニックが文字通り「スペイン語圏出身者」を指すのに対し、ラティーノスペイン語圏以外のラテンアメリカ全域の出身者を指す。たとえば、ブラジル出身者はラティーノではあってもヒスパニックではない。また、ヒスパニックとラティーノの単語が同時に使われる場合、ヒスパニックはメキシコ出身者のみを指す事が多い。

とある。ちなみに、「ラティーノ」という独立した項目は未だに存在していない。

この説明は間違えているとは言わないけれど、あまりにも不十分である。「ヒスパニック」が暗示するのは単にスペイン語だけではない。白人であるスペイン人の子孫であるということを強調することによって、自らの「白人性」を確認する言葉でもあるのである。余談であるが、この白人性により固執しているのが、ニューメキシコで用いられている「イスパノ」という呼称だ。ニューメキシコは他の南西部と異なり、特殊な歴史を持っている。米墨戦争当時、現在のアメリカ南西部であるメキシコ領北部は点々と人間が居住するだけで、メキシコ中央政府からも放置されているような地域であった。唯一、ある程度の規模で人間が集住していたのがニューメキシコだった。彼らは放牧を生業とし、自らをスペインのコンキスタドレスの子孫である「イスパノ」と呼んで、そのスペインの伝統を誇っていた。

彼らの「イスパノ」への強いこだわりを示す話として、1960年代のあるメキシカンアメリカン政治組織の結成時の話を紹介しよう。1950年代から次第に政治への進出を始めたメキシカンアメリカンはケネディの大統領選での選挙活動の成功を受けて、南西部全域の統一した政治組織を作ることを思い立った。しかしながら、その組織の呼称をめぐって各州の意見が対立し、結局この組織はカリフォルニア州のみの組織として立ち上げられることとなった。この組織の名前はMexican American Political Association:MAPAというのだが、このメキシカンアメリカンという部分に対して、ニューメキシコの人々は「イスパノ」を用いるべしとしてゆずらなかったのである。*5

1960年代まで、メキシカンアメリカンの人々はその「白人性」に固執*6、白人主流社会へ完全に同化することを目標としてきたという歴史がある。これをひっくり返したのが、自らを「褐色の被抑圧民族」である「チカーノ」と定義し、「奪われた」南西部を自らの手に取り戻すことを政治目標としたチカーノ運動であった。この運動を担ったのはニューレフトの政治思想に染まった大学生を中心とする若者たちだった。

チカーノ運動の対決的な手法や「褐色」という自己表象は、それまでメキシカンアメリカンを代表してきた中産階級を中心とした穏健組織*7には受け入れがたいものであったため、これらの組織とチカーノ組織は激しい非難の応酬をおこなった。しかしながら、政治状況の変化や、当時全国的な問題として表面化した非合法移民問題への対応などさまざまな理由により、彼らは協力する道を選択していくこととなっていく。

この非合法移民問題ラテンアメリカ出自の住民を一つの集団としてまとめる契機となった。非合法移民はそのほとんどがラテンアメリカ出身であったため、アメリカ社会は非合法移民とスペイン語を話す住民を同一視し、激しいバッシングを展開したのである。このバッシングに対抗していくためにはメキシカンアメリカンやプエルトリカンなどといった出身地別の集団では対処しきれないのが明らかになっていったのである。こうして、一つの集団として新たなエスニック・アイデンティティを構築した人々が採用したのが「ヒスパニック」という呼称であった。

ところで、「ヒスパニック」という呼称はもともと政府がチカーノ運動が盛り上がった70年代にラテンアメリカ出自の人々を総称するために作り出した呼称である。その裏には、チカーノ運動によって高揚したチカーノナショナリズムを良しとしない中産階級以上のラテンアメリカ出自の人々を自らの側にとりこんで、階級によって分断しようという意図が隠されていた。つまり、「ヒスパニック」という呼称はそもそも非常に政治的なものであったのである。

1970年代後半以降の左翼退潮の流れの中で、チカーノ組織はその活動を終えていき、再び政治の前面に登場したのは、新たに「ヒスパニック」として自らのエスニック・アイデンティティを再構築したLULACなどの穏健組織であった。しかしながら彼らの多くはチカーノ運動の影響を強く受けており、時の政権と密接な関係を築くことを第一としていた以前とは随分異なった組織へと変貌していた。実際、LULACは非合法移民問題や社会政策をめぐってレーガン政権と激しく対立し、「ゴキブリ政権」と非難するほどであった。同時に、ヒスパニックという様々な人種を包含したエスニック集団としてアイデンティファイすることによって、自らの白人性を優先することが不可能になっていったのであった。

多文化主義が進展していく中で、様々な人種を包含するにもかかわらず、白人性を強調し、また白人主流社会によってつくられた歴史を持つ「ヒスパニック」という呼称は次第に嫌われていくこととなり、代わりに用いられるようになっていったのが「ラティーノ」という呼称*8であった。

以上長々と書いてきたけれど、このように非常に政治的な呼称を、それがもつ歴史を無視して無頓着に用いるのは非常に問題があると思うのである。ラティーノは2000年のセンサスでアメリカ最大のマイノリティになり、今後のアメリカ政治を左右する存在であることは間違いがない。日本においてもラティーノへの理解を深めることは非常に重要である。「ヒスパニック」ということばが無頓着に用いられている現状は、そのままラティーノのことを全く理解していないことのあらわれでもある。

*1:産経の某捏造記者は違うみたいだけど。それと、初の女性候補v.s.初の黒人候補ってのもあるのはもちろんだが。

*2:他にもあるかもしれないけど、あんまり見たことがない

*3:PC的にはラティーノ/ナ(Latino/a)と書くのが適切なのであるが省略する

*4:この記述はあまりにもひどい。米墨戦争の結果強制的にアメリカ市民にされた、いわば勝手に売り渡された人々を「住み着いている」と表現した人物の見識を疑う。

*5:Garcia, Mario T., Memories of Chicano History

*6:これに関しては、法的にはメキシカンアメリカンを白人としつつも、日常的には非白人として扱う白人社会の視線が大きく影響している。

*7:代表的なものとして、League of United Latin American CitizensやG.I. forum、MAPAなどがあげられる

*8:ただし、ラティーノという呼称自体は新しいものではなく、1930年代にはすでに使用されていた。ただ、ラテンアメリカ出自の住民を総称することは一般的でなかったため、あまり広まっていなかったのである。

靖国反日勢力

現在ネット上では「百人斬り訴訟」「大江裁判」で有名な稲田朋美議員による映画検閲騒動が話題をさらっている。稲田は

客観性が問題となっている。議員として見るのは、一つの国政調査権

とのたまっているようだけれど、映画における客観性なんてものはいったいどのように担保できるというのだろうか。映画なんてのは監督の主観によって描かれるものであって、それに「客観性」なんてものを求めたらつまらない駄作になるだけだ。そもそも、文化庁が映画に助成金を出すのは

【事業の概要】
(意欲的な企画作品の映画の製作)
 我が国の映画芸術の水準向上の直接的な牽引力となることが期待される意欲的な企画作品の製作を支援します。
(新人監督やシナリオ作家を起用した映画の製作)
 優れた人材を発展・育成するため,新人監督やシナリオ作家を起用した映画製作を支援します。
(地域において企画・制作される映画の製作)
 地域の活性化に資する映画の製作活動を支援します。*1

という目的でやっているのである。つまり、映画芸術の水準向上や新人の育成に主眼が置かれているのだから、その内容が「反日」であるなんて稲田の言いがかりはナンセンス以外の何者でもない。映画の芸術性が「反日」とか「反社会的」であるかどうかで決まるのなら話は別だけど。もしそうなら、「極道もの」なんて全く評価されなくなるのだろう。

ところで、映画の中で使用された「南京事件で論争となっている写真」というのがどの写真かは知らないけれども、それをもって「反日」だと脊髄反射する人々は非常に滑稽である。恐らく、「およそ歴史研究の成果とは認められない」研究を行なっている、東中野修道などのように、ある写真が間違ったものであると否定できれば、南京事件そのものを否定できると考えているような人々と同類なのだろうけど、一枚の写真でもって歴史的な事件の評価が左右できるわけはないのだ。日本の歴史修正主義の特徴として、極一部だけを取り出し、それを恣意的に解釈して全体に敷衍しようとする点が挙げられるが、映画の中の一枚の写真を「反日」とすることで、映画全体が「反日」であると決め付けている、今回の映画騒動なんかはそれを見事に表しているように感じる。

歴史修正主義勢力は、それが良かれと思ってやっているのだろうけど、逆に日本の評判を下げることになっているということに早く気づいてほしいものだ。従軍慰安婦問題で世界中*2が非難決議をあげているのは何故なのか、一度じっくり考えたらいいと思う。まあ、彼らにとってはこうした一連の決議は全て「反日中国・韓国ロビーの暗躍」のせいなのだろうけど(笑)、妄想の世界に逃げ込んでも何の解決にもならない。もし、彼らの妄想の通りであるなら、日本政府のロビー活動はあまりにも無力だ。アメリカの決議の時には、加藤駐米大使が

もし下院本会議で採択されれば『ほぼ間違いなく日米両国間の深い友好、緊密な信頼、そして広範囲の協力に長期の有害な効果を及ぼす』と警告し、「日米間の協力の具体例」としてイラクの安定化や復興をめぐる日本の米国への協力を指摘する書簡*3

を送ったらしいけれど、どうやら全くの逆効果だったらしい。「憂国の士」である歴史修正主義者諸君は、このような日本政府の体たらくに猛烈に抗議してしかるべきではないのだろうか。

他にも、韓国の新聞で慰安婦決議で活躍した韓国の外交官を紹介している記事を引っ張り出してきて、韓国ロビーが暗躍しているのがはっきりしたとかうれしそうに語ってるかわいそうな人もいたけれど、慰安婦問題に関して日韓双方のロビーが動いていることなんて明々白々なのだ。もし、慰安婦決議が許せないというなら、「暗躍」した韓国ロビーや中国ロビーを攻撃するのではなくて、それにあっさりと負けてしまった日本ロビーの「ふがいなさ」こそ責めるべきだと思うのだけれど*4、そういった言説はとんと拝見したことがない。

ところで、「中韓ロビーの影響力」なんて妄想は、中国や韓国の影響力を過大評価して日本の影響力をちんけなもの呼ばわりしているってことに「愛国者」諸君は気づいているのだろうか。それこそ、彼らの大好きな「自虐」ってやつじゃないのか、一度聞いてみたいものだ。そんなに中国ロビーが強力ならば、どうしてアメリカ議会でのチベット問題非難決議を阻止できなかったのだろう。もしかして、「愛国者」諸君の頭の中では、チベットロビー>中国ロビー>日本ロビーなんて不等式ができあがってるんだろうか。

とりあえず、今回の「靖国」騒動は、格好の宣伝活動となったのは間違いがない*5。これがなければ見に行こうとは恐らく思わなかった僕も、見てみようか検討を始めたのだから。従軍慰安婦決議の時の「THE FACTS」が決議を促進したように、歴史修正主義大好き連による「愛国的」な行動が一般的な常識からすると眉をひそめられる類のものであり、彼らの意図とは逆の方向に進んでしまうことがままあるということはいい加減気づいたらどうだろうか。多分無理なんだろうけど。

*1:http://www.bunka.go.jp/1bungei/19_hojokin_boshu.html

*2:今のところ、知っている限りでは、アメリカ・カナダ・フィリピン・オランダ・EU・オーストラリア

*3:http://azuryblue.blog72.fc2.com/blog-entry-203.html

*4:もちろん、問題の本質はロビーの力なんかではないことは当然だが

*5:もちろん今後文化庁が政治的な題材を取り上げる映画に対する助成に対して及び腰になる危惧はある。稲田を馬鹿だと笑ってるだけではなく、徹底的に批判していくことは大切である。

また橋下か

なんだか、橋下の話題ばっかりであれなんだけど、またもややらかしたみたい。それともう一つ

もはや開いた口がふさがらないんだけど

共産党が主張を通そうとするのなら、多数派になってから意見してほしい

なんて、民主主義の基本が本当にわかっていない。確かに民主主義の基本は少数意見の尊重であるってことがわかっていない人は多いみたい。以前某巨大ポータルサイト改憲に関する意識調査で議論していたときも「改憲派」と称する人々は大概こんなこと言っていた。まあ、そのへんのネトウヨと同レベルだってのは光市の事件ではっきりしてたけど、知事やってる奴がこんな理解ではお寒い限りだ。それにしても、産経の記事もひどい。「共産党に苦言」って。普通なら批判しなけりゃいけないのに。これ書いた記者は「良くぞ言った」とでも思ってたんだろう。

それから、教育委員会の件。教育は橋下の最重点課題だったはずだけど、前回の「机上の空論」に続いてなんも勉強してないことを露呈してる。テレビのコメンテーターのレベルの低さを身をもって証明しているのだけれど、ほとんどの人は気にもとめないであろうことが予測できて悲しくなる。

ところで教育委員会は中立だから、橋下の発言はとんでもないというのは確かにそうなんだろうけど、言葉のみを批判してもあんまり意味がないように思う。橋下がどうしてあのように考えるに至ったのかということこそ考えなければいけない問題だろう。東京都を初めとして、埼玉県、神奈川県なんかの歴史修正主義大好き知事たちのお膝元で教育委員会が何をやっているかを見れば、知事の意向がそのまま反映する傾向があるのは明らかだ。形の上では中立でも任命権がある限り、知事のお仲間が教育委員会を牛耳るだろうし、非公式に口出しもしているのだろう。このような状況を変えるための一つの方策として、教育委員会の公選制の復活なんてのはどうだろう。戦後すぐはみんな食べていくのに必死で教育のことにまで頭が回らなかったのだろうけど、今現在教育への関心は非常に高まっている。つくる会の教科書の採択率を見れば、歴史修正主義なんかをよしとしている人なんてのは実社会では極少数であるのはおそらく間違いないであろうから、東京都や杉並区のような事態は避けられる公算が高い。

教育委員会の公選制は元々アメリカの制度であるのだが、アメリカでの教育委員会の権限は非常に強大で、人種マイノリティが教育委員会の委員になることは権利獲得のための大きな手段になっている。一例として、1971年のテキサス州クリスタルシティーの事例を紹介したい。

テキサス州クリスタルシティーは小さな町で、人口の大半はメキシカンアメリカンだった。当時公的な差別は市民権法で禁止されていたにもかかわらず、メキシカンアメリカンの高校生は放課後の課外活動(具体的にはアメフトとか)への参加を禁止されていた。白人によって独占されていた教育委員会はこうした差別を禁止せず、黙認していた。

このような状況に、メキシカンアメリカンコミュニティは敢然と立ち向かった。当時、黒人の市民権運動に影響を受けたメキシカンアメリカンの若者たちは、自らを「抑圧されてきた非白人マイノリティ*1」である「チカーノ」と自らを同定し、白人社会の抑圧を糾弾し、南西部をチカーノの手に取り戻すことを目標とした「チカーノ運動」を展開し始めていた。運動の一環として目標に選ばれたのがクリスタルシティの教育委員会のメキシカンアメリカンによる独占であったのだ。

クリスタルシティの運動は見事に実を結んだ。それまで白人によって独占されていた教育委員の椅子をメキシカンアメリカンで全て埋めることに成功したのだ。これによって、高校での差別的な慣行は廃止された。この事件は世間の耳目を集めることとなり、チカーノ運動がますます盛り上がることとなった。

教育委員の重要性は今でも失われていない。現在のロス市長のビジャライゴサの政治家としての活動の端緒はロス市の教育委員会選挙への立候補だった。ここでの活動が認められて彼は有望なラティーノ政治家として頭角を現していき、ついにラティーノ初のロス市長にまで上り詰めたのだ。

現在のアメリカでの教育委員会の重要性は、多文化主義と大きく関わっているのだが、長くなるので省略する。

以上長々と述べてきたけれど、もちろんアメリカとは事情が異なるからそのままうまくいくとは限らない。しかし、近年の教育をめぐる悪い流れを変えるだけの力は持っているような気がするがどうであろうか。

*1:今でこそ、ラティーノは褐色の肌の非白人であるという認識が広まっているけれど、メキシカンアメリカンは伝統的に自らをスペインの伝統を受け継ぐ「白人」であると主張してきた歴史がある。従って、この認識の変化は前世代の戦略を完全否定した非常に重大なシフトチェンジである

ようやく脱稿

せっかくブログをはじめたというのに、なんだか橋下ストーカー的ないくつかのエントリを残してずっと放置していたけれど、決して三日坊主とかじゃなかったんだからねっ!

ずっとある原稿と取っ組み合いをしていたわけで、それがようやく終わったんだけれど、その締め切りが奇しくも前回のエントリの日付だったわけで。つまり、締め切り当日に鳩山のお馬鹿発言なんかを揶揄していたわけで。そりゃ終わるはずないと自分でも思うわけで。

ブログを放置しているあいだにもずいぶんいろんなことがあった。沖縄の事件でのセカンドレイパーの件とか(世間ではセカンドレイピストと呼ばれているみたいだけど、あんまりしっくり来ない。istを使うと専門家というイメージがあるからかな。でもセカンドレイプの専門家って意味じゃこっちの方がよいのかも)いろいろ言いたいこともあったけど、既に沢山の場所でボコボコにされているから、これ以上は触れない。

この件で一番なるほどと思ったのは、何故殺人や傷害などの事件では問題にしないのに、性犯罪のみ被害者の落ち度を問題にするのかという指摘だった。殺人事件なんかで被害者の人権を守れキイキイってうるさい連中が性犯罪に関しては「被害者にも落ち度が」なんてのたまっているさまは、醜悪の一言に尽きる。

そんなわけで、これから日記を再開しようと思う。